「ペットショップは小鳥屋から始まった」


1927年(昭和2年)3月、東京渡辺銀行に取り付け騒ぎが起こりました。「銀行がつぶれる!!」という巷のうわさを耳にした人たちが、預金を下ろそうと銀行に殺到したのです。それが金融恐慌の発端となって、日本は未曾有の不況に見舞われることになりました。


いつの時代でも、不況になると副業を考える人が増えます。当時のホワイトカラー向けの雑誌、その名もズバリ、「サラリーマン」にも、副業を勧める記事が掲載されました。


副業として勧められたのは、美容院、人形屋、せんべい屋、フルーツパーラーなどで、「経営の際には、専業主婦である妻を活用すべし」という心得が添えられていました。


昭和6年、商店界社から発刊された「生活安定叢書 家庭内副業案内」では、副業の選択基準を次のように定めています。


1.なるべく自己の本業に関係のあるものから着手し、その発達はひいて本業の改良に好影響を与えるもの

2.作業が簡易であって、老幼婦女子にも行い得るもの

3.多くの資本を要せず、かつ回収の速やかなるもの

4.原料を得ることが容易であって、かつその土地に得られるもの

5.販路困難ならず、かつ継続する望みがあるもの


当時、家庭の内職として盛んになったのが、食用蛙や小鳥の繁殖でした。なかでも、人気を集めたのが小鳥です。


小鳥に関する新聞が20誌以上も発行され、大阪では百万円の資本金が投じられて小鳥市場が開設されました。珍重されたのは、セキセイインコ、十姉妹、カナリアなどで、内閣総理大臣の月給が800円だった時代に、1羽1万円の値がつく小鳥もいたそうです。


そして、ペットショップの前身となる小鳥屋が、街のあちこちに店を出すようになったのです。