日本では、現在でも農作物を荒らす害獣として、年間で1万頭以上のイノシシが駆除されているそうです。人間の経済活動である林業や農業がイノシシの生息地にまで及んだ結果で、イノシシに言わせれば、人間の身勝手というものなのでしょう。


人間の祖先は、狩りでイノシシを捕らえて、その肉や毛皮を利用していました。やがて、動物性タンパク質を安定的に手に入れるために、イノシシを飼い馴らして飼うようになり、家畜化されたイノシシは「ブタ」と呼ばれるようになりました。


イノシシは、人間にとって飼いやすい動物でした。


*イノシシは雑食性で、雑草、昆虫、残飯など何でも食べるので、エサの確保がしやすかった

*牛や羊などは1年に1~2頭程度しか出産しないが、イノシシは1回で3~8頭出産する

*成長が早く、肉資源として適していた

*イノシシは学習能力が高く、幼いうちから飼えば、人に馴れやすい


ヨーロッパからアジアにまたがる地域で家畜化されたイノシシ=ブタが、世界各地に広まったと言われています。それぞれの地域の気候や環境に適応させるために改良され続けた結果、400~500ものブタの品種が生み出されましたが、現在、普及しているのはその内の30品種です。


ブタは、イノシシの習性を受け継いでいます。


野生のイノシシは、水たまりや川の近くの湿った低地を排泄場にします。ブタにも、一定の場所に排泄する「ため糞」と呼ばれる習性があります。


通常の飼育環境でも、排泄場と寝床が区別できるような豚舎であれば、ブタは、低くて湿った場所に排泄し、高くて乾燥した場所を寝床とします。


ブタは本来はベッドルームとトイレは別々にする清潔好きにもかかわらず、不潔な動物のように誤解されています。それは、狭い場所に過密に飼われているために、排泄場と寝床が一緒になってしまうことによるものです。


イノシシは、水や泥を体に塗りつけて、蒸発によって涼をとるという習性をもっています。ブタも水浴や泥浴を好み、「ヌタ打ち」と呼ばれています。しかし、水や泥がない飼育環境では、かわりに糞尿を使うことになって、「ブタは不潔だ」という誤解を生んでしまいます。


人とブタは、「食う立場-食われる立場」という関係です。養豚は、食肉を生産する産業であり、生産主体が動物であっても、経済行為としての原則で考えられます。


養豚業では、投入するコストに対して得られる収益をいかに大きくするか、つまり、いかに効率良く儲かる経営ができるかが、最優先の課題です。コストには、金銭的な資本投資だけではなく、労働コストも含まれているので、省力化も生産性を向上させる大切な要素になっています。


養豚業では、個々の動物がもつ能力をアップさせることより、群れとして、あるいは経済的な生産性を向上させることを目指しています。いかに効率的に飼うかということは、育種的に優れたブタを適切に繁殖させ、個体ごとに適切な飼料を適量与え、衛生的な環境で、しかも省力的に飼うということです。


ブタの生産では、繁殖から肥育までの一貫生産が行われていますが、生まれた子豚が全て欠けることなく、肉豚として出荷できることが経営上、何よりも大切です。子豚が病気にならないようにするために、豚舎を外部から完全に隔離して無菌状態に保つことも行われています。そのような環境下で生まれ育った豚は「無菌豚」と呼ばれています。


無菌豚は高生産性を追求した結果の産物ですが、当の豚にとって、その環境が暮らしやすいと言えるかどうかはわかりません。


不適切な環境で飼い続けられた動物が長期間にわたって葛藤・欲求不満状態に置かれた場合や、成長過程で正常な行動をとることができなかった場合に、異常な行動を起こすことがあります。


ストールと呼ばれるケージで飼われている繁殖豚のように、食べたり飲んだりする以外にはすることがないような単調な環境で暮らしているブタには、ストレスから異常行動を起こすものがあります。


「柵を長時間噛んだり、舐めつづける」「エサがないのにあたかも食べているかのように見える偽咀嚼を長時間行う」「犬のオスワリの姿勢(犬座姿勢)を長時間続ける」などの行動です。


その他にも、食糞や多飲多食といった摂食異常行動、分娩後に母豚が子豚を殺して食べてしまう生殖行動異常なども見られます。


ブタを含めた家畜に対する福祉について言及したのが、1965年にイギリス議会に提出された「ブランベルレポート」です。このレポートは、その後、ヨーロッパにおける動物福祉に関する法律の制定に大きな影響を与えたとされています。


動物福祉(Welfare)とは、肉体的(Physical)にも精神的(Mental)にも健康な状態(well-being)と定義されています。


ブタが人間のように「しあわせ」という感情をもっているかどうかは分かりませんが、飢えや渇き、ケガや病気といった苦痛を伴う状況に置かない、行動的にもできるだけ自由で快適な環境を提供することが理想です。


しかし、生産効率を極限まで追求する畜産の現場で、果たしてどこまでブタにとって快適な環境を整えられるのか、理想と現実にはかなり大きなギャップがあります。


ブタは、イヌの代替動物としても使われています。


かつて、医学や獣医学、生物学の実験や学生の実習では、イヌが実験動物として使われていました。ビーグルは実験用に斉一化された犬種とも言われ、一般的な解剖実習用には、捕獲された野犬が大学などの研究機関に払い下げられて、使われていました。


しかし、最近は、動物愛護や動物福祉といった観点から、コンパニオン・アニマルと呼ばれるようになったイヌを実験動物として用いることに批判が高まり、ほとんどの自治体が捕獲したイヌの払い下げを行わなくなりました。


そのかわりを務めるようになったのが、ブタなのです。ブタは、もともと肉用、すなわち屠殺して食肉にすることを前提にして飼われているので、実験用に使われることに対しての人々の抵抗感がイヌに比べれば小さいからなのです。


そして、実験動物用のブタの品種として、よく知られているのがドイツで改良された「ゲッチンゲン」というブタです。ドイツのゲッチンゲン大学の研究所で1970年頃に実験用のミニブタとして確立された品種で、高血圧・動脈硬化症のモデルブタです。このブタは、成熟しても体重が50kgぐらいにしかならないため、実験動物として取り扱いやすく、エサ代もかからないのです。


このゲッチンゲンは、今ではミニブタと呼ばれてペットとしても飼われるようになっています。ブタは、知能が高く、室内飼育のペットとしてしつけられるだけでなく、芸までできるからです。


1996年5月20日号のAERAに、「ブタがモテる理由」という記事が掲載されました。


「人間でも太っているぐらいの人のほうが周りをなごませてくれる。今の人たちは、ブタに癒しを感じているのではないか。」


とは言っても、「イヌと同じように飼える」というのはまちがいで、一般の人がブタを飼うのはそう簡単ではありません。


ペットとして飼われていたミニブタ2頭が、ブリーダーの元に返された後、1頭は十分に大きくなったということで、肉用として屠畜されたという話も伝わっています。


食肉市場で屠殺されたブタを解体する作業に従事している人が、ブタが主人公になっている「ベイブ」という映画を見たときに、少なからずショックを受けたと述懐しています。自分が肉として扱っているブタが、人間のようにしゃべるのを見たからだそうです。


ブタは、愛玩動物として飼われて初めてミニブタというペットになります。一般的には、ブタは畜産動物であり、実験動物なのです。もし、ミニブタの飼い主が、養豚業者に対して、「ペットとして飼っているミニブタと同じような環境で飼うべきだ」と言えば、一笑にふされてしまいます。


ブタという同じ種類の動物でも、ペットとしてのブタと産業動物としてのブタとの間には、明確な境界線が引かれているのです。


(参考資料)

「ブタの動物学」 田中智夫著 東京大学出版会刊

「ミニブタの医・食・住」 小林茂久著 どうぶつ出版