アニマルライト(動物の権利)は、野生であろうと家畜であろうと、人間が動物を利用することは原則として「悪」であり、止めなければならないと主張するものです。
一方、アニマルウェルフェア(動物の福祉)は、次のような立場をとっています。
畜産、動物園、実験などで、人間が得るメリットが動物が受ける苦痛を上回るときには、「動物を利用することは悪いことではない」という考え方が基本です。
そして、科学の立場で「動物が持つ欲求」を示します。動物の欲求を満たすことで、生産効率が下がったとしても、「それだけ手間のかかるもの」として、社会全体で受けとめようと提案するのです。
きっかけは「かわいそう」でもいいけれど、「かわいそう」だけで動くと、すべてが抜け落ちてしまう。必要なのは、科学的、客観的な理解なのだという主張です。
現代社会では、動物は財産権の対象であり、大量に売買され、消費され、愛玩されています。動物にも人間と共通する「感覚」が存在するからと言っても、それだけでは動物に人間同様の法的な人格を付与することはできないというのが、法学者の見解です。
また、「不必要な動物への虐待を禁止し、動物を人道的に扱う」と言っても、動物に人間と同様の「権利」を認めることは、「人の権利」の希釈化につながる、つまり「人」を軽く見ることになりかねないという意見もあります。
「人道的な動物の福祉」とは、動物の虐待には反対するが、動物から搾取する産業や習慣などには反対しないとするものです。
青木人志教授は、その著書「動物の比較法文化」(有斐閣刊)のなかで、西欧の動物法のバックグラウンドと日本の動物法のバックグラウンドを、次のように表現しています。
●西欧の動物法のバックグラウンド
「創世記型」-キリスト教的な世界観(旧約聖書)
人は神によって、動物を治める使命を与えられた。支配者としての責任+動物が感覚をもつ存在という認識
馬を中心とする使役動物の保護から出発し、一貫して畜産動物や実験動物の保護に深い関心と配慮を払っている
●日本の動物法のバックグラウンド
「ごんぎつね型」
小学校の国語の教科書にも登場するキツネのゴンのお話。キツネのゴンは、動物界からときどき人間界に入り込んで、悪さをしたり、人間と心を通わせたりする。動物界は、人間界に隣り合って存在している。つまり、人間と動物は隣人どうし。
現在では、人間による開発と環境破壊によって動物界はどんどん縮小し、それに伴って人間界が動物界を吸収してきています。もはや、人間による保護や管理がなければ、動物界は存在できなくなっています。
日本の動物法も、その出発点は牛馬の保護でしたが、「動物の愛護及び管理に関する法律」では、畜産動物や実験動物については、規制対象となっている動物取扱業の範囲から、明示的に外されています。
日本の動物愛護法は、実質的には、ペットとして飼われる動物、犬や猫、小動物の保護を目的としたものなので、規制対象になるのは、それらのペットを取り扱う業者、ブリーダーやペットショップ、その他のペット関連サービス業に従事する人たちです。
犬や猫は、コンパニオン・アニマル(伴侶動物)と呼ばれるようになって、同じように人間に飼い馴らされた家畜の牛や豚などとは違って、特別待遇ともいえる立場を与えられています。
牛や豚は、もともと食肉生産のために飼われているのであって、生産主体が動物であっても、経済行為としての原則で考えられています。
牛や馬の繁殖農家が育てた子牛や子馬は、家畜市場でセリにかけられ、肥育農家や競走馬の育成牧場に買われていきます。生き物の取引である以上、健康上のリスクの所在を明確に線引きする目的もあって、現金決済が慣例になっています。
犬や猫の生産者(ブリーダー)は、動物愛護法の規制対象として、犬や猫により広いスペースを与え、より良い飼育環境を整えるように求められています。作業効率のためだけではなく、衛生管理のためにもケージ飼いすることは、畜産動物ではごく当たり前のこととして捉えられても、犬や猫の場合には、「狭いところに閉じ込めている」という表現をされます。
子犬や子猫は、ペットパークと呼ばれる市場でセリにかけられ、ペットショップに買われていきますが、「ダンボールに子犬や子猫を入れて、命あるものをモノとして売り買いしている」と言われます。
市場で子犬や子猫を空気孔のついた専用ダンボールに入れるのは、感染症予防のためにも必要なことなのですが、いかにも粗末に扱っているかのような印象で語られます。
また、セリにかけられる前に、出展される子犬や子猫はプロによって身体的な欠陥や健康状態をかなり詳しくチェックされますが、生体市場が流通段階でのフィルターの役割を果たしていることは、あまり知られていません。
犬や猫という動物も、家庭で飼われて初めてペット=コンパニオン・アニマルになります。数は少なくなりましたが野犬はペットとは呼ばれません。警戒心が強く、人になつかない野犬を放置しておくことは、咬傷事故などの危険性もあるため、狂犬病予防法に則って捕獲され、処分されます。そのことに異議を唱える人はいません。
また、営利事業としてペットの繁殖や流通を担っている事業者にとっては、犬や猫も、牛や豚などと同じ産業動物、経済動物に他なりません。事業者が動物に対する愛情を持っていないわけではないのですが、産業動物の分野に、家庭におけるペットと同様のケアや観念を100%持ち込もうとすることには、無理があります。
こと犬や猫になると、アニマルライト(動物の権利)に近い考え方をしがちですが、彼らがどんなに人間にとって近しい存在であっても、事業者が動物にとって好ましい環境を整えるためのコストをどのくらいまでなら受け入れられるのか(=最終的には消費者がそのコストを負担することになる)といった判断、アニマルウェルフェア(動物福祉)に基づく考え方をしなければならないのではないでしょうか?
(参考図書)
「動物の比較法文化」 青木人志著 有斐閣刊