「マーリー」 世界一おバカな犬が教えてくれたこと ジョン・クローガン著 早川書房刊
マーリーのことをなんと表現すればいいのか、さんざん考えたすえに、僕はこう書いた。
「マーリーは最高の犬と呼ばれたことなどない-良い犬とさえ呼ばれなかった。」
「うるさい妖精のごとく手に負えない存在で、雄牛のように手強かった。彼は天災が道連れにするような突風を起こしつつ、騒々しくいかにもうれしげに生きた。僕が知るかぎり、服従訓練教室から放り出されたのは、マーリーただ一匹だけだ」
僕はさらに続けた。
「ソファーをしゃぶり、網戸を蹴破り、よだれを垂らし、ごみバケツをあさった。脳味噌についていえば、死が訪れるその日まで自分の尻尾を追いかけ、犬の限界に挑戦した」と。
それでもまだマーリーについては言いつくせず、僕はさらに、彼の鋭い直感力や思いやり、子どもたちへのやさしさ、そして純粋な心について語った。
僕が本当に言いたかったのは、マーリーは僕らの魂にふれ、生きるうえで一番大切なのはなんなのかを教えてくれた、ということだ。
「たとえ我が家の犬のようないかれた犬でさえ、とにかく犬はたくさんのことを教えてくれる」と僕は書いた。
「マーリーは僕らに、毎日底抜けに元気よく楽しく生きること、今この瞬間を大切にして心のままに行動することを教えてくれた。」
「森のなかの散歩や、新鮮な雪、冬の太陽を浴びながらの昼寝、そうしたささいな物事こそ貴重なのだと教えてくれた。」
「年齢を重ねて体の痛みを抱えるようになってからは、逆境にあっても楽観的であることの大切さを教えてくれた。そして、なによりも友情と献身、とりわけ固い忠誠心を教えてくれた」
常識はずれな考えかもしれないけれど、マーリーを失ってみてはじめて、すっかり合点がいったことがある。マーリーは良き師だったのだ。教師であり、手本だったのだ。
犬が-それもマーリーのような、かなりいかれた、やりたい放題の問題犬が-人生において本当に大切なのはなんなのかを、身をもって人間に示すなんて、できるのだろうか?答えはイエスだと僕は信じている。忠誠心。勇気。献身的愛情。純粋さ。喜び。
そしてまた、マーリーは大切ではないものも示してくれた。
犬は高級車も大邸宅もブランド服も必要としない。ステータスシンボルなど無用だ。びしょぬれの棒切れ一本あれば幸福なのだ。
犬は、肌の色や宗教や階級ではなく、中身で相手を判断する。金持ちか貧乏か、学歴があるかないか、賢いか愚かか、そんなことは気にしない。
こちらが心を開けば、向こうも心を開いてくれる。
それは簡単なことなのに、にもかかわらず、人間は犬よりもはるかに賢く高等な生き物でありながら、本当に大切なものとそうでないものとをうまく区別できないでいる。
マーリーへの惜別のコラム記事を書きながら、僕らが目を開いてちゃんと見つめさえすれば、なんの問題もなく、真実がわかるのだと、僕は悟った。
時として、それがわかるには、息が臭くて素行は不良だが、心は純粋な犬の助けが必要なのだ。