「さらば、ガク」 野田知佑著 文芸春秋刊
藤門弘が『ポチの結論』(小学館)の中で、「野田知佑はガクにしつけをしなかった。ガクに体験をさせた」と書いているが、その通りだ。
子供にしろ、犬にしろ、彼等に何かを教えるということにぼくは疑問を持っている。
われわれ大人にできるのは、彼等をいい体験ができる場所に連れていくこと。それだけではないか。あとは彼等が自分で行動し、そこで何かを感じとるのに任せる。すべては本人次第なのだ。
他人にあれこれいわれずに行動するうちに、自分で考えたり、感じたり、判断するようになる。
ぼくが犬ガクに対してやったことはそれであった。
幸いなことにガクは賢い犬なので、体験から様々なことを学んだ。ぼくはこういう犬を持つことができて、幸運だったと思っている。
(中略)
ガクが生きている間から、ぼくはガクが死んだらその皮でチャンチャンコを作り、それを着ると言明していた。
ガクの死後、友人のプロに皮を剥いでもらい、なめして、チョッキを作ってもらった。
犬歯を抜いて一本を椎名に、一本を「ひと岳」に送った。
毛皮に関して賛否両論があることは判っている。しかし、ぼくとガクとの間はそういうものなのだ。
これがガクの毛皮です、と生前ガクを知っていた人たちに見せると、しんみりした顔で毛皮をなでる人と、顔色を変えて逃げる人に分かれた。残酷だというのだ。この人たちは残酷という意味を判っていない。
ぼくにとって犬を飼うということは、ここまですることなのだ。犬を飼うというのはそういうことなのだと思っている。