(47)マリリンに逢いたい
沖縄の座間味島では、昭和30年代に、犬を飼わないという申し合わせがされました。
当時、増えた野ネズミに農作物を荒らされて、食糧問題が深刻化したため、島にネズミの天敵のイタチを60数匹、放ちました。そのイタチを保護するために、犬の飼育が禁止されたのです。
連絡船の機関長をしていた宮平秀幸さんは、ある冬の日の夕方、那覇港で一匹の子犬と出会いました。子犬は、ゴミ箱にひもでつながれ、そぼ降る雨に打たれて、震えていたのです。
宮平さんは、一晩だけのつもりで、その子犬を船の機関室に泊めました。しかし、かわいそうで子犬を手放すことができなくなり、島に連れて帰って、こっそり飼い始めたのです。その子犬はメスで、マリリンと名づけられました。
阿嘉島で民宿を営んでいた中村利一さんの父親が、大阪に出かけた時に、一匹のオス犬を連れて帰ってきました。シロと名づけられたその犬は、島でただ一頭の犬だったのです。
シロは、中村さんのボートに乗って、3キロ離れた座間味島に行ったときに、マリリンに出会いました。そして、マリリンに一目ぼれしたシロは、多い時には週に3度、泳いでマリリンに会いに行くようになったのです。
やがて、マリリンとシロの間には、6匹の子犬が産まれました。
しかし、幸せは長く続かなかったのです。マリリンが車にはねられて、死んでしまったからです。
その後も、シロは海を泳いで渡ってきて、マリリンの墓の前に座っていたこともあったそうです。
シロとマリリンの恋は、「禁断の恋」でした。しかし、島の掟が守られていたら、この恋物語も生まれなかったのです。
その恋物語が、「マリリンに逢いたい」という題名で映画化されたため、座間味島はすっかり有名になり、多くの観光客が訪れるようになりました。
そして、その後、島の掟は忘れられ、今では多くの犬が飼われるようになったのです。
(参考資料)
「生きもの夢千里」 朝日新聞地域報道部の人間記者たち編 朝日新聞社刊