(13)忠犬タマ公
昭和11年6月7日発行の新潟新聞に、こんな記事が掲載されました。
猟犬界の誇りだ-タマ公へ感動の5円!-
忠犬タマ公の銅像建設の議がいよいよ具体化するに及んで、各方面から賛辞と寄付金が続々と送られているが、北蒲原郡笹岡村の狩猟犬倶楽部部員たる新田加造氏は、金5円を添えて賛辞を惜しまず。
「自分も猟犬を飼育しているが、猟犬からかかる忠犬をだしたことは、自分の犬の手がらとも感ぜられ、ひいては日本における猟犬界の誇りでもある」と感動を寄せている
昭和12年秋、新潟市のほぼ中央に位置する白山公園に、タマ公の立派な銅像が建てられました。なんとその除幕式には、タマ公自身が参加していたのです。
昭和9年(1934年)2月5日、新潟県の川内村に住む刈田吉太郎は、柴犬のタマ公をつれて、猟に出かけました。目的地の八滝沢は、深い雪に覆われていました。雪の中から飛び立ったヤマドリに向かって、吉太郎が銃を撃ったその時、ローソク立岩にかぶさっていた雪が崩れ、アッという間になだれに飲み込まれてしまったのです。
雪の中に閉じ込められた吉太郎が意識を失いかけたとき、タマ公が雪を掘り返して、主人を雪の中から救い出したのです。
昭和11年(1936年)1月10日、吉太郎は仲間の3人の猟師とともに、猟に出ました。2年続きの凶作で、猟で稼ぐしかない状況に追い込まれていたのです。
雪が降りしきる中、ムジナを追って水上沢に向かった一行が、冬の陽射しが山々を照らしはじめたことに気づいたとき、すさまじい雪けむりとともに、なだれに巻き込まれてしまったのです。
再び、タマ公は雪に埋もれた吉太郎を掘り出した後、もう一人の猟師を救い出しました。
しかし、まだ二人の猟師が雪の下に閉じ込められたままでした。
吉太郎が、「村の人たちに知らせてくれ」と叫ぶと、タマ公は雪山を駆け下りて、村はずれの家の前で激しく吠え立てました。出てきた村人は、タマ公の血だらけの前足を見て、山で大変なことが起こったと感じ、村の消防団を集めて、救援に向かいました。
タマ公は、雪の中を嗅ぎまわって、雪に埋もれていた二人を見つけ出しました。そして、残りの二人の猟師も、救援隊によって、救助されたのです。
「タマ公賛歌」
村松町のタマ公は 雪崩がのんだ飼い主を
命を投げ出し 掘り起こし
2度目は4人のおじさんを 救うかしこい犬でした
話を聞いた人たちは、忠犬と呼び、
タマ公が語りつがれてゆくように
やさしい姿の銅像を 町の学校にたてました
渋谷の駅はハチ公で 新潟駅はタマ公で
心かよわす 姉妹駅
知らない人には教えましょ 恩を返した物語
よい子の胸にタマ公が 一緒になって生きてるよ
口もきかぬし 動かない
銅像だけれど好きなんだ みんな歌おう タマの歌
(参考資料 「奇跡の犬 タマ公」 綾野まさる作 ハート出版刊