(9)戦争と犬-軍用犬の歴史
古代の戦闘で使われていたのは、チベット・マスティフという犬種で、肩までの高さが75~80センチある大きな犬でした。
13世紀末にその犬を目撃したマルコ・ポーロは、「オス犬は、ロバほどもあり、大きな頭を持ち、ほほの皮膚はザラザラして、深いしわが刻まれていた。唇は厚く、目は血走っていて、いかにも恐ろしげな感じがした」と報告しています。
動物学者は、このチベット・マスティフが多くの犬種の先祖犬になっていると考えています。軍用犬としての優れた性質が評価され、数世紀の間に中近東からヨーロッパへと広まっていったのです。
近世のヨーロッパで、軍用犬に力を入れたのがドイツで、ダルメシアン、ポメラニアン・シェパード、コリーなどの犬種が、偵察、通信文の輸送、負傷兵や行方不明者などの探索の訓練を受けていました。ジャーマン・シェパードがドイツを代表する軍用犬になるのは、19世紀に入ってからです。
当時の軍用犬候補は、12~24ヶ月齢のオス犬であること、そして、じょうぶで、運動好き、積極的で、注意深いことなどが条件でした。適性テストでは、銃声や棒による威嚇から逃げ出さない、おびえた様子を見せないといったこともチェックされました。
選抜された犬には、従順さと攻撃性、それに用心深さを強化する「デブラージュ」という基礎訓練を5~6週間にわたって行いました。そして、その過程で、それぞれの犬のもつ性格が分析され、適する専門分野へと振り分けられたのです。
全ての犬に共通する訓練は、主人以外の者からエサを食べないようにすることでした。エサにつられないようにするためです。
めざましい働きをした軍用犬のエピソードが、数多く残っています。
第一次世界大戦中、アメリカ兵がパリで一匹の野良犬を見つけ、伝令の仕事を教えました。「ラッグス」と名づけられた犬は、1918年に砲兵隊の司令部に通信文を届ける最中に爆弾で負傷し、病院で手当てを受けた後、アメリカに送られました。そして、20歳まで生きたそうです。
アルジェリア戦争では、フランス軍は1,500頭の軍用犬を投入しました。1958年3月、憲兵のジルベール・ゴドフロワとシェパードの「ガマン」のペアは、ヘリコプターで戦闘地域に送られました。
ゴドフロアとガマンは、新しい足跡を見つけて、追跡を始めました。突然、自動小銃の発射音がして、撃たれたゴドフロアが倒れると、ガマンは吠えながら、駆け出しました。
数分後に、後続のパラシュート部隊が到着し、あたりを捜索したところ、茂みの中に喉を切り裂かれた敵兵が息絶えていました。
そして、数メートル離れたところには、絶命したゴドフロアと、かばうようにその上に横たわっているガマンの姿がありました。何発もの銃弾を受けて、ガマンも血まみれでした。にもかかわらず、なお主人を守ろうとして、近づく兵士にかみつこうとしました。
手術を受けて一命をとりとめたガマンは、しかし、主人を失ったショックからかノイローゼのようになり、飼育施設に移されてから、2週間もたたないうちに死んでしまいました。
軍用犬は、物資や武器・弾薬の輸送、部隊間の連絡、基地のパトロール、敵や脱走兵の捜索、武器や火薬の探知などの危険な任務に就いていたので、戦場から帰還できる可能性は、きわめて低いものでした。
ベトナム戦争では、米軍に従軍した4,000頭の軍用犬の内、生き残って帰国できたのは、わずかに200頭だったと言われています。
現在、全ての近代的な軍隊が、軍用犬を持っています。犬種の90%以上は、シェパードやベルギーの牧羊犬で占められていますが、ロットワイラー、ブービエ、ドーベルマン、ラブラドール・レトリーバーなども使われています。
軍用犬ですから、地雷探査、追跡、見張りなどの軍事目的の訓練も受けていますが、自然災害が起きたときに、負傷者や行方不明者を探す捜索犬として使われるケースが多くなっています。
1970年代に行われた研究では、地雷や爆発物の探知において、高い能力を発揮したのは、ワイマラナー・ローデシアン、ビーグル、グレイハウンドだったと報告されています。
(参考資料:「動物兵士全書」 マルタン・モネスティエ著 原書房刊)