●安楽死に対する考え方、米国人と日本人との相違


米国で勤務している日本人の獣医師は、次のように述べています。


1.米国では安楽死賛成派が多い


日本人と米国人では「安楽死の受け入れ度」はかなり差があると言える。一般に米国人は、安楽死賛成派が大多数を占める。高齢のペットも、重病のペットも、軽症の犬も猫も、比較的簡単に安楽死となっている。


中には、そんなに早くあきらめないで、せめてもう少しがんばって治療してみてからにしたらどうかと、こちらから安楽死の時期を遅らせるよう、忠告することもしばしばある。


なぜ、米国人はこうも安楽死に積極的で、日本人は消極的なのか。日本は仏教の国で、米国はキリスト教の国だからという声を聞いたことがあるが、キリストが安楽死を勧めているとは聞いたことがない。それに日本に複数の宗教が存在するように、米国にも仏教を含む宗教が多数、それに複数の人種、言語、文化が存在する。


私が思うに、米国人は自分で決断するのが好き、得意なのだと思う。また、米国人は、子どもの頃から何でも自分で責任をもって判断、決断するよう教育される。自己主張が美徳とされる国である。


ところが日本は、自分で判断を下すことに慣れていない。上司やボス、先生がいつも決断を行い、それに協調して合わせるのが美徳とされるように思う。だから、動物の死に関しても、自分から率先して安楽死を希望することは少ない。獣医師の意見をあくまでも尊重し、獣医師に判断してもらうのを好む傾向があると思う。


動物の死期が近づくと、動物にとってベストなのはどういうことか、どの程度苦しんでいるのか、早く苦しみから解放してあげるべきかと悩むのは、日本も米国も同じである。私は正直言って、米国式の早期安楽死型が良いのか、日本式の安楽死遅延型、あるいは安楽死否定型がよいのか、自分でも解答が出ていないし、そのケースによって複雑になると思う。


2.獣医師の立場から見た米国で安楽死が選択されるケース


現在、米国では、安楽死に関する詳細なガイドラインは設定されていない。すなわち、このような場合に安楽死を行ってはいけないとか、こういう場合には行わなくてはいけないという規定はない。その獣医師のモラルと良識に任せられている。


それゆえ、米国でも、安楽死を比較的簡単に行う獣医師もいれば、最後まで行わない人などさまざまである。飼い主の経済状態や社会問題が関わっている場合もあり、米国でも安楽死は賛否両論である。以下に、安楽死が選択されるケースを列記してみた。


 動物が治ることのない重病に罹患している、あるいは高齢のために回復することがまずないと思われる場合。そして、明らかに動物が苦しんでいる場合。


 動物の病気が長期に及ぶ場合。症状が安定したとしても、生涯にわたって治療が必要な場合。腎臓病、糖尿病など。この場合、投薬や自宅での注射など、飼い主のライフスタイル、経済状態によっては治療の持続が難しい場合がある。


 治療をすれば治る可能性が高いが、非常に高額な費用を要するため、飼い主が経済的に支払いができない場合。複雑骨折の手術、交通事故後の長期入院などなど。日本人は貯蓄率が高いので高額でも払う人が多いが、米国では月に25ドルの分割払いさえできない人が結構いる。そういう人たちは、支払い能力がないために、泣く泣く安楽死させる。


 医学的には問題がないが、行動に問題のある動物の場合。吠える、噛み付く、室内に排便排尿するなどなど。処方薬の投与やトレーニングを行っても改善せず、飼い主も限界に達してしまった場合。
この場合の安楽死に関しては、米国でも賛否両論である。だが、問題行動のある成犬が里子として引き取られる確率は非常に低い。


 医学的、行動学的に問題はない健康なペットであるが、人間の都合で飼育するのが困難になる場合。飼い主が失業した場合、レイオフで引越しを余儀なくされ、新しいアパートではペットの飼育が禁止されている場合など。ひどい場合は、結婚する、妊娠した、子どもが生まれたから飼えなくなったという人もいるだろう。
このような人たちは、まず新しい飼い主を探す。だが、生まれたばかりのかわいらしい子犬、子猫が毎年、何十万、何百万と殺されている世の中で、成長したおとなの犬猫をこころよく引き取ってくれる人は少ない。まして、そのペットが甘やかされている場合、特殊な食餌しか食べない、ある人にしかなつかないというのであれば、里子として引き取られる可能性は非常に低い。このような飼育者に、最後の手段として安楽死させて欲しいと泣きつかれたら、どうするだろうか。米国でも賛否両論である。


 不本意に生まれてしまった場合。
不妊去勢手術を怠ったために、不本意に生まれてしまった。里子に出したいけれど、貰ってくれる人がいない。あるいは、純血種の子が欲しいのに、誤交配で雑種が生まれてしまった場合など。あるいは、ペットショップで売れ残ったなど。
獣医師としてはこの場合、安楽死を承諾するのはモラル的に許されるのだろうか。自分が安楽死を断ったら、飼い主は保健所に連れていくのではないか。