安楽死


●安楽死を決断する-欧米人と日本人との違い-


欧米の飼い主は一般的にこう考えます。「犬が苦しんでいる時に、それ以上苦痛を与え続けないために安楽死を選択することは、飼い主ができる最後の愛の行為なのだ。」


しかし、日本人のほとんどは安楽死を考えようとはしません。


それは、仏教や儒教の教えに添った「自然の成り行きに任せるべきだ」とか「どんな生き物にも魂があり、その命をもてあそぶようなことをするべきではない」という考え方に影響されているためと考えられています。


自然に死を迎えることができれば、それが最も好ましいことですが、死を目前にしている動物の苦痛に対して、何もしないことは、欧米人の目には「責任逃れをしている」と映るようです。


それは、まだ多くの日本人が「去勢することは自然ではない」と思ってしまうのと同じように、日本人の心の中にある潜在意識のためではないかと考えらています。


望まれずに生まれてきた子犬は、「保健所に連れて行けば処分されてしまうから、誰かに拾ってもらえるチャンスをあげたい」と、公園に捨てられます。自分の責任を放棄するため、そして動物を殺してしまうことへの罪悪感から逃れるために、捨ててしまうのです。


欧米の獣医師は、飼い主が「安楽死」を選択すべきかどうかの助言を行います。これ以上、有効な治療や使える薬品がなく、愛犬を苦痛から解放するためには「安楽死」という方法を考えるべきではないかと説明をするのです。もちろん、最終的な判断は飼い主に委ねられます。


日本の獣医師は、一般的には、倫理上の理由から、あるいは「飼い主から冷たい獣医師だと批判されたくない」という判断によるものなのか、安楽死を積極的には勧めません。


確かに、愛犬を楽にするために、どの段階で安楽死させるのかを判断するのは、むずかしいことです。「いよいよになったら、安楽死させよう」と覚悟を決めていても、「もう少し、もう少し」と決断を先送りしているうちに、愛犬はもだえ苦しみながら、息を引き取るということもあります。


愛犬が苦しんで死んでいくのを目のあたりにした飼い主は、悲しみから立ち直ることができずに、ペットロスの状態になりやすいと言います。


安楽死を選んだ飼い主でも、愛犬を失った悲しみを同じように味わいますが、悲嘆からの回復が早く、また犬を飼い始めるようになります。