犬屋敷の住人たち


●たくさんの犬を持つことに偏執する人


自宅で飼っていた犬21頭に狂犬病の予防接種を受けさせなかったとして、70歳になる女性が、狂犬病予防法違反などの疑いで奈良県警に摘発されました。近隣の住民から「犬おばさん」と呼ばれていた女性は、なんと大阪弁護士会に所属する弁護士だったのです。


この人は、10年前に高級住宅街に引っ越してきて、庭でミニチュアシュナウザーのペアを飼い始めたのですが、そのペアが自然繁殖を繰り返して、ピーク時には30頭近くにまで増えてしまったそうです。


劣悪な環境で放し飼いされていた犬たちは、昼夜の別なく吠えまくり、門から逃げ出して近所の主婦などに咬みつくといった事故が8件にも及ぶというありさまでした。


足を咬みつかれた人が抗議したところ、「うちの犬やない!!」と逆切れされたとのことです。犬どうしのけんかで咬み殺された犬の死骸を、生ゴミと一緒に玄関先に捨てられた人もいたそうです。


2階建ての一軒家は、玄関に通ずる階段には、垂れ流された犬の糞がこびりついて、悪臭ふんぷん。庭の植木も伸び放題、ガラス越しに見える窓のブラインドもボロボロで、廃屋かとみまがうばかりの様相を呈していました。


彼女自身も、汚れた服を着ていて、異臭を放っていたために、バスの運転手に乗車拒否をされたこともあったほどです。


住民からの苦情を受けて、奈良市保健所から指導のために、1年間で68回もの接触が試みられましたが、かの弁護士女史は、「何も話すことはない!!」とその面会を拒否し続けていました。


奈良市からの告発を受けて、奈良西署が家宅捜索に入り、20匹の犬を押収しましたが、しばらくして、住民から「まだ、犬が残っている」との通報があり、再び捜索したところ、3匹の犬を見つけました。


前回の押収後に新たに飼い始めたもので、そのうちの2匹はペットショップから買っていたことが分かりました。


近隣の人たちは、「また、同じことが繰り返されるのではないか。とても、弁護士がやることとは思えない」と怒り心頭です。


東京都中野区に「犬屋敷跡」と呼ばれる史跡がありますが、「中野御囲」が正式な名称で、江戸時代に「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」を発布した徳川5代将軍、徳川綱吉によって建てられたとされる広大な犬の収容施設でした。


江戸の町を徘徊する野良犬を保護するための施設で、「一の囲」から「五の囲」に分けられたお囲い御用屋敷は、30万坪の広さで、約8万頭もの犬が収容されていたそうです。


綱吉の死去に伴って廃止されるまでの15年間、犬屋敷に収容された犬たちのエサ代を確保するために、その時代の江戸の町民や農民には「犬扶持(いぬぶち)」という税金まで課せられていました。


戌年(いぬどし)生まれの綱吉に跡継ぎができないことを憂えた母、桂昌院が「犬を大切に」と勧めたためという説は、今では否定されていて、「戦国時代の荒々しい風潮を一掃するため」、あるいは「庶民の帯刀を禁止することと併せて実施された」とする考え方が新たに出されています。