●戦争と犬
近世のヨーロッパで、軍用犬に力を入れたのがドイツで、ダルメシアン、ポメラニアン・シェパード、コリーなどの犬種が、偵察、通信文の輸送、負傷兵や行方不明者などの探索の訓練を受けていました。
ジャーマン・シェパードがドイツを代表する軍用犬になるのは、19世紀に入ってからです。
当時の軍用犬候補は、12~24ヶ月齢のオス犬であること、そして、じょうぶで、運動好き、積極的で、注意深いことなどが条件でした。
適性テストでは、銃声や棒による威嚇から逃げ出さない、おびえた様子を見せないといったこともチェックされました。
選抜された犬には、従順さと攻撃性、それに用心深さを強化する「デブラージュ」という基礎訓練を5~6週間にわたって行いました。そして、その過程で、それぞれの犬のもつ性格が分析され、適する専門分野へと振り分けられたのです。
全ての犬に共通する訓練は、主人以外の者からエサを食べないようにすることでした。エサにつられないようにするためです。
めざましい働きをした軍用犬のエピソードが、数多く残っています。
第一次世界大戦中、アメリカ兵がパリで一匹の野良犬を見つけ、伝令の仕事を教えました。「ラッグス」と名づけられた犬は、1918年に砲兵隊の司令部に通信文を届ける最中に爆弾で負傷し、病院で手当てを受けた後、アメリカに送られました。そして、20歳まで生きたそうです。
アルジェリア戦争では、フランス軍は1,500頭の軍用犬を投入しました。
1958年3月、憲兵のジルベール・ゴドフロワとシェパードの「ガマン」のペアは、ヘリコプターで戦闘地域に送られました。ゴドフロアとガマンは、新しい足跡を見つけて、追跡を始めました。突然、自動小銃の発射音がして、撃たれたゴドフロアが倒れると、ガマンは吠えながら、駆け出しました。
数分後に、後続のパラシュート部隊が到着し、あたりを捜索したところ、茂みの中に喉を切り裂かれた敵兵が息絶えていました。そして、数メートル離れたところには、絶命したゴドフロアと、かばうようにその上に横たわっているガマンの姿がありました。
何発もの銃弾を受けて、ガマンも血まみれでした。にもかかわらず、なお主人を守ろうとして、近づく兵士にかみつこうとしました。
手術を受けて一命をとりとめたガマンは、しかし、主人を失ったショックからかノイローゼのようになり、飼育施設に移されてから、2週間もたたないうちに死んでしまいました。
軍用犬は、物資や武器・弾薬の輸送、部隊間の連絡、基地のパトロール、敵や脱走兵の捜索、武器や火薬の探知などの危険な任務に就いていたので、戦場から帰還できる可能性は、きわめて低いものでした。
太平洋戦争下の昭和19年、陸軍獣医学校で作成された資料には、当時、7、762頭の軍用犬がいたと記されています。国の要請に応じて、国民が物資を提供する「供出」には、軍用犬、警察犬として飼い犬を提供することも含まれていました。軍用犬として戦地に送られた犬が再び日本に戻ってくることはなかったと言われています。
戦時中は、人間が食べていくのもやっとという食糧不足の時代でしたから、飼い犬に食べ物を与える余裕があるはずもなく、それでも犬を飼い続けた人は「非国民」とさえ呼ばれました。
そのような状況を反映して、戦争末期には、犬の献納が奨励され、2ヶ月間で1万7,000頭が供出されたそうです。そして、集められた犬たちは、軍用の毛皮をとるために、薬殺されました。
ベトナム戦争では、米軍に従軍した4,000頭の軍用犬の内、生き残って帰国できたのは、わずかに200頭だったと言われています。
現在、全ての近代的な軍隊が、軍用犬を持っています。
犬種の90%以上は、シェパードやベルギーの牧羊犬で占められていますが、ロットワイラー、ブービエ、ドーベルマン、ラブラドール・レトリーバーなども使われています。
地雷探査、追跡、見張りなどの軍事目的の訓練も受けていますが、自然災害が起きたときに、負傷者や行方不明者を探す捜索犬として使われるケースが多くなっています。1970年代に行われた研究では、地雷や爆発物の探知において、高い能力を発揮したのは、ワイマラナー・ローデシアン、ビーグル、グレイハウンドだったと報告されています。
(参考資料:「動物兵士全書」 マルタン・モネスティエ著 原書房刊)