人間は長い間に、用途や目的に必要とされる能力や特徴を持たせるために、犬の交配を繰り返して、新しい品種を作ってきました。
異なる品種の犬どうしを交配させると、その子犬は雑種ということになりますが、その中に両親のすぐれた面を兼ね備えた子犬が生まれることがあります。その子犬を選抜して、さらに似たものどうしで交配をします。
そのようにして、選抜と交配を繰り返していると10世代目にもなれば、その系統の特徴が遺伝的に固定されたものになり、純粋種として認められるようになると考えられます。
血の濃いものどうしを何世代にもわたって交配すると、その系統の特徴を遺伝的に固定しやすいことから、純粋種の作出のために、交配の途中で近親交配が繰り返されました。その結果、望ましい特徴だけではなく、望ましくない特徴である遺伝的疾患も固定されてしまったのです。
現在、犬の遺伝的疾患は、500種類もあるとされています。遺伝病の頻度は、ヒトでは500人に1人の割合(0.2%)ですが、イヌの場合には、500頭に5~50頭の割合(1~10%)で、極めて高くなっています。
このような遺伝的疾患を避けるためには、好ましくない遺伝子をもつ犬を交配に用いないということしかありませんが、表面上はまったく正常でも、不良遺伝子を持っている犬がいるため、それを排除することはむずかしいのです。
例えば、10頭に1頭(10%)が発症するような遺伝性疾患をもつ犬種では、潜在的に43%が不良遺伝子を持っている(保因率)からです。100頭に1頭(1%)の割合でも、不良遺伝子の潜在的保因率は18%です。
遺伝的疾患の遺伝子を持つ割合(1万頭当たり)
発生頭数 (発生率) 不良遺伝子を持つ頭数 (保因率)
1頭 (0.01%) 198頭 (1.98%)
10頭 (0.1%) 619頭 (6.19%)
100頭 (1%) 1,800頭 (18.0%)
1,000頭 (10%) 4,323頭 (43.2%)
十分な遺伝学の知識のない一般の飼い主が、「一度ぐらいは子どもを産ませたい」と繁殖を行うことが好ましくないのは、遺伝性疾患を持つ子犬を産出する可能性があるからです。股関節形成不全は、生後6ヶ月から1歳ぐらいで発症するので、その段階ではすでに新しい飼い主のもとで暮らしているケースがほとんどです。そうなれば、生まれてきた犬が苦しむだけではなく、その飼い主に経済的、精神的な負担を強いることになります。
欧米のブリーダーは、交配をする前に両親犬の遺伝性疾患のチェックを行い、遺伝病の因子を子孫に受け渡すことになる可能性を排除しようとしています。また、一般の人にも、子犬を求める時に、ブリーダーに両親はもちろん、3代前まで遡って遺伝性疾患の有無を確認するといったことが、ごく普通に行われています。
股関節形成不全
よく知られている遺伝性疾患に、股関節形成不全があります。腰と左右の後肢をつなぐ股関節が緩んで、関節炎を発症して、重症になると歩けなくなる病気です。
2001年にNPO法人日本動物遺伝病ネットワークが行った調査では、日本の家庭で飼われているラブラドール・レトリーバーの46.7%に股関節形成不全が認められたのです。欧米諸国で行われた同様の調査で発表された罹患率、米国11.7%、スウェーデン19%、フィンランド31%に比べても、驚くほど高い割合になっています。
遺伝性疾患を減らすには、遺伝的疾患を発症した犬を繁殖に使わないことです。スウェーデンでは、その取り組みにより、股関節形成不全の有病率が13年間で、46%から23%になりました。
日本でも2002年から日本盲導犬協会では、全頭検査を実施して、その結果を踏まえて交配を行ったところ、股関節形成不全の罹患率が大きく下がってきたと報告されています。
日本遺伝病ネットワークの代表、森淳和さんは、次のように述べています。
遺伝性疾患を持っている犬は価値のない犬という偏見が多い。病気は人間にもあることなので、病気を持っている犬はいけない犬と見るのではなく、その病気が更に拡大しないためにどうしたらいいかを考えましょう。
股関節形成不全や肘関節異形成症を診断するには、レントゲン撮影による検査が必要ですが、その費用が1万円ぐらいかかり、さらにその結果を血統書に登録する費用として3,000円かかります。
そんなにお金がかかるのならやりたくないということになりかねないので、ブリーダーだけではなく、飼い主も含めてみんなが遺伝性疾患を減らすことの大切さをきちんと理解する必要があります。
膝蓋骨脱臼症(略してパテラ)
股関節形成不全に症状が似ている遺伝性疾患が「膝蓋骨脱臼症」です。小型犬には、膝が内側に外れる内方脱臼が多く、アメリカ系のトイプードルでは70~80%がこの遺伝性疾患のキャリアではないかという指摘もあります。
膝蓋骨脱臼の症状は、その重さによって4段階に分けられています。
ステージ1
膝蓋骨の位置は正常ですが、膝蓋骨を押すと脱臼する。離すと元に戻る
ステージ2
自然に脱臼するが、脚を伸ばすなど処置すると元に戻る。進行する
ステージ3
日常的に脱臼している。戻してもすぐに外れてしまい、やがて歩行困難になる
ステージ4
常に脱臼している状態で、修復ができない。手術が必要
大腿骨虚血性壊死(レッグペルテス)
大腿骨頭に血液の供給が不足するために、大腿骨が壊死して、変形してしまう。強い痛みがあるので、脚をひきずって歩くようになる。生後3~12ヶ月で発症する。
不正咬合(オーバーショット、アンダーショット)
生活していく上では大きな支障はありませんが、あごの咬み合せが悪くなるもので、遺伝性のものと考えられています。
オーバーショット
上アゴが下アゴよりも長くなる。6ミリ以上ズレがあると、犬歯が歯肉に刺さったりすることがあります。
アンダーショット
下アゴが上アゴよりも長くなる。生後2ヶ月ぐらの時には正常だったのに、下アゴの発育が遅れてしまい、成犬になったらアンダーショットになっていたというケースが多い。