1902年に、ニューヨークの野球場でアイスクリームやソーダの売店を経営していたハリー・スティーブンスが、4月のある寒い日に、形が似ていることから「ダックスフンド・ソーセージ」と呼ばれていた長いソーセージを、パンにはさんで、温めたものを売り出しました。
それまでは、あつあつのソーセージを売る時に、お客がやけどをしないように手袋を渡していましたが、お客がそれを持って帰ってしまうので、それならと、ふたつに切ったロールパンに挟んで売り出したのだそうです。
ちょうどその日に、ニューヨークイブニングジャーナルという新聞で風刺漫画を描いていたタッド・ドーガンが、野球観戦しながら、新聞に載せるネタを探していました。
そのパンにはさんだダックスフンド・ソーセージを見たタッドは、さっそく風刺画に描きましたが、「ダックスフンド」という単語の綴りがわからなかった彼は、その風刺画に「ホットドッグ」とタイトルをつけたそうです。
そして、新聞に載ったその風刺画が話題を呼び、「ホットドッグ」という言葉が生まれるきっかけになったとのことです。
ホットドッグという呼び方には、それにまつわる都市伝説もあって、当時、盛んに行われていた野犬狩りで捕らえられた野良犬の肉がソーセージに混ぜられていたことからだというものです。
かなりまゆつばの話ではありますが、犬を食べる食文化は、現在でも中国、北朝鮮、韓国をはじめ、東南アジア諸国には日常的なものとして残っているようです。
今では全く食卓に上らなくなりましたが、クジラ肉は昭和30年代までは日本人にとって、貴重なたんぱく源でした。現在は、調査捕鯨を除いて、クジラを捕獲することは許されなくなっていますが、クジラを食べることは、何百年も続いてきた日本人の食文化として、尊重されるべきだという主張があります。
「犬を食べるなんて、とんでもないことだ」というのが、愛犬家の共通の感覚だと思いますが、人類の歴史の中では、犬は食糧となる家畜としても飼われてきたという事実があります。地域に根ざした食文化に対して、外部の人間がとやかく言う権利はありませんから、犬食文化についても、それがごく当たり前の食文化であれば、尊重しなければなりません。
食事の前に「いただきます」というのは、「命をいただきます」という意味なのだそうです。動物でも植物でもその命をいただいて、人が生きる糧にしているのですから、残さず食べなければ命を粗末にしていることになります。
先進国では最も食糧自給率が低い日本は、大量の食糧を輸入し、そして食べきれずに大量に廃棄しています。「もったいない」という感覚を取り戻すことが、飽食ニッポンに求められている課題です。