東京都中野区に犬屋敷跡と呼ばれる史跡がありますが、中野御囲が正式な名称で、江戸時代に「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」を発布した徳川五代将軍、徳川綱吉によって建てられた広大な犬の収容施設でした。


江戸の町を徘徊する野良犬を保護するための施設で、一の囲から五の囲に分けられたお囲い御用屋敷は、30万坪の広さ、約8万頭もの犬が収容されていたそうです。綱吉の死去に伴って廃止されるまでの15年間、犬屋敷に収容された犬たちのエサ代を確保するために、その時代の江戸の町民や農民には、犬扶持(いぬぶち)という税金まで課せられていました。


戌年(いぬどし)生まれの綱吉に跡継ぎができないことを憂えた母、桂昌院が「犬を大切にしなさい」と勧めたためという説は今では否定されています。「戦国時代の荒々しい風潮を一掃するため」、あるいは「庶民の帯刀を禁止することと併せて実施された」と考えられています。


犬の多頭飼いといった表現ではとても足りないぐらいの数、何十頭もの犬を飼っている家があります。近隣の住民は、その家を犬屋敷と呼んでいて、そこから漂ってくる悪臭やハエの襲来、鳴き声などに頭を痛めています。劣悪な環境で飼われているために、犬たちの健康状態は最悪で、そのような状態は虐待以外の何ものでもないといった印象を与えるものです。


このようにきちんと世話ができないのに、たくさんの犬や猫を飼ってしまう人たちを、欧米ではアニマル・コレクター、あるいはアニマル・ホールディングと呼んでいます。彼らは、どんなに劣悪な状態で犬を飼っていても、犬を助けているという信念を持っていて、それが犬たちを虐待していることになりかねないと指摘されても、がんとして聞き入れようとはしません。


このような人たちは、動物にまちがった共感性をもった典型例ととらえられています。自分には動物とコミュニケーションをとったり、共感する特別な能力があり、動物を救うことが自分の一生をかけた使命だと考えています。


彼らに共通するのは、子ども時代に何らかの混乱した不安定な状況を経験していることです。動物への異常なまでの執着は、子ども時代に生じた愛着障害に関係があると考えられています。


病的なまでの執着を示しているわけではなくても、5~6頭程度の多頭飼いはよくあります。多頭飼いに向いている犬種はダックスフンドなのだそうですが、1頭当りの生涯費用は、餌代やワクチン代などを含めて、少なく見積もっても100万円はかかりますから、5頭では15年間でざっと500万円という計算になります。それだけの金額を負担できる経済力がある飼い主さんということですが、災害時に何頭もの犬を抱えて避難するのは大変なことなので、どんな場合でも自分がコントロールできる範囲内にとどめておくべきではないかと指摘されています。