合掌
動物が好きで獣医師の道を選ぶ人がいるように、私は動物が好きで最後を看取るペットのお坊さん、僧侶の道を選びました。サラリーマンからの転身ということで、変わっているように思われるかもしれませんが、私の中ではごく自然にお坊さんになるべくしてなったのだと感じています。
小学校3年生の時に、自宅の縁の下に住み着いていた野良猫のミクが心ない誰かに両目をつぶされ、片足を折られて戻ってきました。動物病院に連れて行くことができませんでしたから、自分でできる限りの看病をしましたが、3日目の夕方に私の膝の上で亡くなりました。最後の瞬間、砂でつぶされた両目を開けて私を見たミクは「ありがとう」と言うと、静かに息を引き取ったのです。それは、耳に聞こえる言葉ではなく、私の心に直接伝わってくる不思議な感覚の言葉でした。
そして私は「心からの想いが供養のすべてだとは思うけれど、心から謝るだけではなく、動物たちのためにお経が読めたら」と思うようになったのです。「お経には何百年ものときを経ても失せることのない何かがあり、もしお経に何らかの供養する力があるのなら、私は動物たちのために心から捧げたい」と考えたからです。
多くの動物達の死に出会うのは、「ペットや動物達のために何かをすべく生まれてきたのだ」という使命を気づかせるために命でもって教えてくれているのだと思ったのです。そうした彼らに導かれたのか、大学で知り合って結婚した相手がお寺の娘さんで、就職してから5年後に僧侶への道が開き、「動物のお坊さん」への道を歩み始めることになったのです。
ペットのお坊さんになるために僧侶になったと言うと、「馬鹿じゃないの」とか「頭がどうかしているよ」と笑われ、変人扱いされることもありますが、「そういう優しい心のある人にこそ、お坊さんになって欲しい」「家がお寺だからという人よりは、何かに目覚めて僧侶を目指す人があってもよい」と励ましてくれる方もいます。
合掌