お子さんの英語レッスンを親御さんに依頼されることがあるので、今日はそのことについて書いてみようと思います。

 

お子さんの英語レッスンをお受けするにあたって、私の中で条件があります。それは、お子さん自身に習いたいという気持ちがあるかどうかです。もしくは少なくとも、嫌がっていないことが絶対条件となります。

 

頭で考えたわけではなく、感覚として、嫌がる子を教えるのは絶対に嫌だなとシンプルに感じてきたのですが、考えてみると、私が子どもの頃から感じてきたことが背景にあるな、と思っています。

 

私は小学生の頃から、学校の授業は“お付き合い”だと思ってやってきました。どういうことかというと、たとえば国語の授業。長文問題で、内容や作者の心情について読み解いたりする問題がよくありましたが、解答を見ていつも、「必ずしもこういう答えになるとは限らないのにな…答えの可能性なんてた~くさん考えられるのに」などと思っていました。絶対的に正しい“答え”なんてあるわけではないと思うのに、いつも答えは一つ。その“答え”を書かないと、“間違っている(合っていない)”と判断されるのでした。

 

その他にも、歌いたくないときに歌わされたり。大きな声を出すのがとても不快で嫌なのに、大声を出させられたり。競争心などないのに、無理やり他と競争させられたり。“ボランティア”を強要させられたり。変なルールを強要されたり。

 

でも、周り(大人)がそう主張して曲げないのなら、(できる範囲で)合わせますよ、という感じでした。

 

一方、小学校生活で、最もありがたかったことは、図工の時間、絵を描いているときに、先生が各生徒の様子を見にまわってアドバイスなどをしていたのですが、私の絵を見て何も言わずに立ち去ってくれたことでした。それが、二回あったかな。そしてその二回とも、その時に描いたり造ったりしていたものが、学校の賞に入選しました。私の思うように、好きなようにやらせてくれて、放っておいてくれて、感謝しました。

 

また、私の両親は、私が子どもの頃から全くと言っていいほど物事を強制したり矯正したりしてきませんでした。「宿題・勉強しなさい」などと言われた記憶もほとんどなく。アドバイスの押し売りもありませんでした。大人になった今の今まで、私を信用してくれて、私の好きなように、思うようにやらせてくれて。でも、冷たく放置するというわけではなく、いつも気にかけて、必要なときには力を貸してもくれました。

 

おかげで安心感や自信も得られ、まったく悔いのない人生を送ることができていて。そんな両親に、心から感謝しています。

 

このように思えるのは、私は基本、自分のやりたい事しかやってこなかったので(=辛かったりきつい思いをしないということではないです)、全部自分の責任においてすることができたからかな、と思います。もし人から言われたから(不本意ながら)やっていた、ということであれば、物事が思い通りに進まないときなどに、その人のせいにしたりもしていたかもしれません。すべて納得して(違和感なく)やってこられたというのが大きかったのではないかと思います。

 

英語を習うことになったのも、あくまでも私が物凄い興味を持ち、やりたいと言ったことから始まりました。同じくらいの年(7歳かな)に、ピアノ(エレクトーン?)の体験レッスンにも行ったのですが、こちらはやりたいと思えず、習いませんでした。

 

くつ

 

また、別の視点で言うと、私は生まれたての赤ちゃんを含む子どもってすごいと思っており、大尊敬しています。もったいないなぁ、と思うことに、この社会では、子どもよりも大人の方が上とか、頭がいいとか、物事の理をよくわかっているなどと思われる風潮にあるようで。見下すまではいかずとも、大人と同じように尊敬することがなかったり。物のように扱ったり。

 

まぁ、他の人のことはいいですが、私は子どもから学ぶべきことがたくさんあると思っており(現に学んでおり)。もっと言うと、人ってやはり、新しい世代になるにつれて、新人類ではないですけど、より進化した?、その時代に必要な人種が生まれてくるのだろうな、と感じていて。よく年寄りは若い人のことを、「常識を知らんやつ」とか「ゆとり」「さとり」などと言って非難したり敬遠したりしますが、単純にその世代の考えや常識が古くなっていて(英語でお年寄りのことをold peopleと言うだけに)受け入れられないだけなのかな、とも思っています。確かに世代がだいぶ違うと、エイリアンみたいな感じがするのはわかりますが、人類の進化って常識なんかでは考えられないような、ぶっ飛んだ(面白い)ものなんじゃないかな、と。そして、“進化”に対応できない人は、自然と淘汰されていくというか(それは単純にPCが使えないとか、そういうハード面に限りません)。

 

私は人は皆それぞれに、その人にしかできないこと(ギフト、才能)のようなものを生まれながらに持っていると感じていて。その人らしく生きることが、最も宇宙(地球、人)に優しいのだろうな、と思っています。そしてそういう生き方は、必ずしも(というか往々にして)社会で好まれるスタイルではなかったりします。

 

なので私が今後歳を取っていくにつれて気をつけていきたいことは、古い常識にとらわれず、若い人の邪魔だけはしないようにしたいな、ということです。皆の良さ、その人らしさを潰さないように。もう気分は隠居です(^o^)

 

セキセイインコ青

 

こういった経験や想いから、いくら親御さんが熱心でも、当のお子さんにやる気(やりたいという気持ちや意欲)がなければ、私はお受けしていません。自分がされて嫌なことを、他者にはしたくないからです。そもそも嫌々やっても、きっとあまり身に付かないと思いますし、他にもっとやるべきことがあるのかもしれない、と考えます。

 

よろしくお願いいたします。

 

補足)

誤解なきように書きますが、私は年配者は子どもと同じくというか、違った意味で?尊敬・尊重しています。というか、あまり人を年齢では見ていません。

また、若い人を尊敬・尊重していますが、崇拝はしていません。若い人でも、大人と同じように、傲慢になり得るので、傲慢さがある場合は違うんじゃないかな、と思います。