Dream's Dream
トラックバックステーションに「おすすめ短編はコレ!」というテーマが出ていた……と書きながら気が付いたんだけど「トラックバックステーション」って頭文字が”TBS”なのだった。どうでもいいけど。
全部読んでないのに薦めるのはどうかと思うのだが、ちくま文庫の内田百閒『冥途』は面白い。「面白い」という言葉は、昔の人が焚火の周りを囲んで輪になって座り、下を向いたまま一人ずつ順番に物語を話して聞かせ、面白い話をした時にだけ全員が顔を上げたので、火の明るさで顔が照らされて「面」が「白く」見えたために、「面白い」という言葉になったと聞いたことがある。
それはともかく、今日は電車のなかで『冥途』を読んでいた。巻末にある芥川龍之介の評に「悉(ことごとく)夢を書いたものである」とあり、多和田葉子さんの解説にも「夢を見ている感触である」とある(そういえば、死んでる人はなぜか呼び捨てにしてしまう)。たしかに、『冥途』に収められている小説たちは、はっきりと夢と書いてあるわけではないのに夢以外の何物でもないと感じられる何かがある。それが何なのかはよく分からないけれど、たとえば、『遊就館』という作品の次のような箇所も、すごく変な感じだ。
私は大風の中を歩いて、遊就館を見に行った。
九段坂は風の為に曲がっていた。又あんまり吹き揉まれた為に、いやに平らに、のめのめとして、何処が坂だか解らない様だった。
そうして遊就館に行って見ると、入口の前は大砲の弾と馬の脚とで、一ぱいだった。
私はその上を踏んで、入口の方へ急いだ。ところどころに上を向いた馬の脚頚が、ひくひくと跳ねていた。そうして私の踏んで行く足許は、妙に柔らかかった。柔らかいのは、馬の股だろうと思うと、そうではなくて、大砲の弾の上を踏んでも、矢っ張りふにゃふにゃだった。
遊就館の門番には耳がなかった。
その傍をすり抜けて中に這入って見たけれど、刀や鎧は一つもなくて、天井まで届くような大きなガラス戸棚の中に、軍服を着た死骸が横ならべにして、幾段にも積み重ねてあった。私は、あんまり臭いので、急いで引き返そうと思うと、入口には耳のない番人が二人起っていて、頻りに両手で耳のない辺りを掻いていた。
どうして出たか解らないけれども、やっと外に逃げ出して、後を振り返って見たら、電信柱を十本位つないだ程の長さで、幅は九段坂位もある大きな大砲が、西の空に向かって砲口から薄煙を吐いていた。
- 内田 百けん
- 冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫