Getcha Groove On
デビューした頃の浜崎あゆみはけっこう好きで、1stアルバムの『A Song For ××』が発売されたのがちょうど僕が高校を卒業する年の元旦だったのだが、実際に店頭に並んだのはその前日の12月31日で、その日に近所のCD屋に買いに行ったのを覚えている。といっても、浜崎あゆみのCDを買ったのはそれが最初で最後で、その後はだんだんと興味が薄れていき、いまではまったくといっていいほど関心がないのだけれど、最近またその1stアルバムを引っ張り出して聴いてみたら、やっぱり良かった。
デビューしてから現在まで一貫して、浜崎あゆみは歌詞をすべて自分で書いているらしいのだが、歌い方は当時といまではだいぶ変化している。デビューの頃はお世辞にも上手いとはいえなくて、"歌わされてる"ような感じもあるのだけれど、テクニックのなさが逆に声質を際立たせているというか、メロディーがストレートに響いてくる。こんなことを書くのは評論家ヅラをしているようであまり好きじゃないのだが、いまの歌い方は妙に演歌っぽいビブラートがかかっていて、本人はそう思っていないかもしれないけれど、何だか「私って歌上手いでしょ?」といわれているような圧迫感を感じてしまって、較べていいのかどうか分からないが、森山直太朗やマライア・キャリーの歌を聴くときも同じような圧迫感を感じることがある。
誰かが「ロックは声」といっていたが、テクニックは後からいくらでも学ぶことができても、声は違う。声とは、その持ち主が選んだものではないし、自分ではコントロールできないものだ――というか、それをコントロールするためのものを普通はテクニックと呼んでいる。たとえば、化粧をしても顔が変わらないのと同じことだと思う(違うか?)。音楽だったら、よく「バンド・マジック」という言い方をするけれど、それもやっぱりコントロールできない何かを表現する言葉で、音楽に限らず小説も映画もスポーツも、テクニック以上にそういうコントロールできないものによって面白くなるような気がする。
デビューしてから現在まで一貫して、浜崎あゆみは歌詞をすべて自分で書いているらしいのだが、歌い方は当時といまではだいぶ変化している。デビューの頃はお世辞にも上手いとはいえなくて、"歌わされてる"ような感じもあるのだけれど、テクニックのなさが逆に声質を際立たせているというか、メロディーがストレートに響いてくる。こんなことを書くのは評論家ヅラをしているようであまり好きじゃないのだが、いまの歌い方は妙に演歌っぽいビブラートがかかっていて、本人はそう思っていないかもしれないけれど、何だか「私って歌上手いでしょ?」といわれているような圧迫感を感じてしまって、較べていいのかどうか分からないが、森山直太朗やマライア・キャリーの歌を聴くときも同じような圧迫感を感じることがある。
誰かが「ロックは声」といっていたが、テクニックは後からいくらでも学ぶことができても、声は違う。声とは、その持ち主が選んだものではないし、自分ではコントロールできないものだ――というか、それをコントロールするためのものを普通はテクニックと呼んでいる。たとえば、化粧をしても顔が変わらないのと同じことだと思う(違うか?)。音楽だったら、よく「バンド・マジック」という言い方をするけれど、それもやっぱりコントロールできない何かを表現する言葉で、音楽に限らず小説も映画もスポーツも、テクニック以上にそういうコントロールできないものによって面白くなるような気がする。