Only The Lonely | 出井和俊の"日々のレッスン"

Only The Lonely

 女子サッカーの日本×北朝鮮戦の後で日本テレビの『キスだけじゃイヤッ!』を観ていて、それが終わった後で『スーパーテレビ 衝撃! ひきこもった息子……そのとき家族は』を観た。
 僕の周りにはひきこもりの人はいないので――というか、ひきこもっていたら出会うこともあまりないのかもしれない――実際の"ひきこもり"がどのようなものなのかはよく知らないのだけれど、一般的なイメージでは"ひきこもり=暗い"。
 よくワイドショーなどでも使われる"心の闇"という言葉は、世間一般の視点からは窺い知ることのできない反社会的な何かに対する警戒心のようなものを含んだ言い方で、「暗い」という言葉も「闇」という言葉も、見えないものやよく分からないものに対する不安を自然と醸しだしていて、それこそまさに「不明」ということなのだけれど、見えないものが存在しないわけではもちろんなくて、光のなかでも闇のなかでも、在るものは在り続ける。
 ひきこもりの人たちが何を考えて、何を感じているのかは他人には分からないけれど、それでも彼らの心には"何か"が起きているわけで、"心の闇"という言葉を使ってしまうと、そこには闇を光のもとに曝しだそうとする力があるだけで、ひきこもりの人たちが社会復帰をすることはそれでそれで良いことだとは思うけれど、結局その"何か"が何なのかが問われることはなく忘れられてゆき、社会に回収されてしまう。
 もちろんひきこもりではない人たちが何を考えて、何を感じているのかも我々には知ることはできないのだけれど、そういう意味ではひきこもりであろうとなかろうと"心=闇"なのに、そういう普通の人に対しては"心の闇"という言葉が使われないのは、やっぱり"心の闇"とは心ではない何かについて述べている言葉なんじゃないか……とここまで書いてテレビのチャンネルを変えてみたら、10チャンネルでもひきこもりの子が扱われていて、その子が笑っていた。