さて今回は敷かれたレールから外れた2001年夏の話。

高校1年の夏休みの後に家出をした、というのは少し前の記事で書いたが、今回は丁度その1年後、高校2年生の夏休みの後の話である。

結局、高校2年生の夏休みに入る頃になっても友人など全くできず、クラスメイトとはごく稀に形式的な挨拶を交わす程度で、ぼっちである事は変わらなかった。

そして高校に入って2回目の夏休み、昨年と変わらず補習を受ける事になったのだが、ある日担任の先生から呼び出された。そこでこう告げられる。

 

「成績があまりにも悪い。普通こういう事は伝えないが、君の今の成績、どれぐらいだと思う? 学年で下から2番目だ

 

が、この段階になっても友人作りの事しか頭に無かった俺は大してショックを受けなかった。というのも、高校生になってからまともに勉学に励もうと思った時期は一切無く、特に高校2年生の中間、期末テストなど名前だけ書いて残りの時間はほぼ寝たフリで過ごしていたぐらいだ。ちなみに問題には目を通すものの、最初の問題からもはや宇宙語。四択問題などを見つけて適当に選ぶぐらいの事しかできなかった。

ほぼ白紙の状態で答案用紙を提出というのを全科目でやっていたら・・・そりゃあそんな酷い成績になるのも自明の理。

 

とまぁ先生からこのままでは留年する可能性が高いとまで言われたのだけれど、心中は「友達友達友達友達友達友達友達友達友達友達」で埋め尽くされていた。ある意味狂っていたかもしれない。

 

高校一年夏休み後の家出事件の事もあり、夏休み中に家族からの叱咤は無く、俺は静かに友達作り問題に没頭していた。

しかし・・・時間だけが過ぎて行き、結局答えは見つからなかった。夏休み後半、既に二学期を迎える気力は0であり、「学校に行きたく無い」とこの頃から親にぼやき始める。

親も最初の頃は冗談だと思って聞いていたみたいだが、ぼやく頻度が高くなるにつれ、不安になり真剣に考えるようになったらしい。

 

夏休みが終わり、二学期が始まった。この時、校内に居る事自体が恥と考えるようになっていた俺は、もう耐える事ができなかった。

俺は親に「もう学校には行けない」と不登校宣言をする。理由に関しては前々から家族にも相談していたし、悩みを抱えている事は親も知っていた。しかし本格的に不登校となるとこれはただごとでは無くなる。何とか考え直す事はできないかと諭されたが、俺が折れる事は無かった。最後には土下座して懇願し、数時間の話し合いの末に親に納得してもらい、翌日から不登校になる。

余談だが、丁度この日の夜に皆もよく知る同時多発テロが起きた。いわゆる911事件。だからこそ今でも自分が不登校になった日付はよく覚えている。0時回ったぐらいだったかな?詳細な時刻までは覚えてないが、就寝しようとしていた所に母親が自分の部屋に突然入ってきて「テレビつけて!大変な事が起こった!」と急かされたっけな。

 

そして不登校生活が始まった。不安、悩みから解放された俺は本当に安心していた。と同時に暇を持て余していた。

当時から部屋にPCはあったが、ほとんど起動すらさせなかった。TVを見るか兄の部屋でゲームをしていた記憶がほとんど。

それ以外で唯一覚えている事は、そんな生活をしている自分に少しでも刺激をと親がプレゼントしてくれたこれ

まだ本棚に残ってる。364ページの小説だった。風呂に入りながら、寝る前、少しずつ読み進めていたものの、7割程読んだ所でリタイアしてしまった。どうやら想像力の足りない自分には文字だけの作品というのは無茶があるらしい。確か小学校高学年の時、「シャーロックホームズ傑作選」(タイトル合ってるかな?)という小説で読書感想文を書いたが、面白いと思って読んでいた覚えは一切ない。傑作選にしてもこのドリームバスターにしても、文字をなぞっていただけで読んでなどいなかったのかもしれない。

 

とまぁ、そんなこんなで不登校は冬休みに入るまで続いたのだが、その冬休みに入った頃から学校専属の臨床心理士に診てもらい、心療内科にも通い始め、軌道修正を図り、学校を退学からの別の学校への通信制編入となるのだが・・・その時の話は別の機会に・・・する時あるか謎(笑)

 

 

 

ふぅ、ある程度高校以降の話はまとまってきたな。次は人生初のアルバイトを始め、待望の友人ができて楽しく過ごせた時期の話を書こうかな。楽しい記事にしたい。では、またいつか。