ねぇ、大切なモノを失くしても、私はこうして生きているよ
紅蓮の森は繁り、黄金の水面は煌々と輝く
空は群青色に変わり、夕陽は漆黒の如く沈んでいった
紫紺の海は萌黄色の飛沫をあげている
地平線の向こうには、真白な波を纏った碧く穏やかな海原が広がっているよね
でも私はここにいる
この波に揺られて進むよ
そこにもう恋なんてないかもしれないけど
だから
どうぞ、私が愛した人の幸せが永遠に続きますように
もうじき、また新しい年が訪れる
また冗談みたいな出来事が待ち受けているのかな
でも何が起きても驚かない
だって、大切なモノを失くしても、私はこうして生きているもの
あの人どうしてるかな、と懐かしむということは、その時代を自分が確かに生きていた、という証だそうだ――
先日、20年ぶりに数人の高校時代の同級生に再会した私は、懐かしさよりも歳を重ねることの重大さを感じた
自分も同じように歳を重ねてきたというのに、確かに時間は経過したのだという事実を突き付けられた気分になった
自分のことは棚に上げ、何という痴がましさなのか、と言ったところなのだが…
この20年、地元を離れてから仕事以外では同世代との交流が殆どないことが原因か環境の違いか何かわからないけれど
物事に対しての感覚や生活のスピード感のようなものに違和感を覚えた
人は年齢で判断できることとそうでない場合があるとは思っている
若くして成す者もあれば、幾つになっても進歩のない者も いる
いつまでもエネルギッシュな人もいれば、そこに落ち着いてしまう人もいる
高齢になればなるほど、その差は明白となっていくように思う
別段、私がその友人たちよりも勝ったところがあると言いたいわけではない
ただ、同じ時間を過ごしてきたはずの友人たちを懐かしく思う気持ちはなく、何処か異国の人のように感じたという話だ
あの頃、私は一生懸命生きていなかったと思いたくはないのだけれど…

