『大和名所圖會』の翻刻をやっています。
38コマ
諸神の名帳を讀供養せらるゝに若狭國遠敷明神此會にまし〳〵て願
はわれ閼伽を奉らんと和尚に宣ふ下より黒白の鵜二羽岩中より飛去り
跡より甘水わき流れたり一年旱して闕伽水なし衆僧井のほとりに
集り若狭のかたに向ひて祈られしかば見るが中に水盈滿せり■■二月
十二日の夜也此時若狭遠敷の神前みたらし川の流れ絶て音な■
故小音蕪川とそ名つけき
此閼伽水を服すれば諸病の悩をまぬかるゝと釈書に
見へたり又二つの鵜を神に祭りて鵜の宮といふ
井の南にあり二月堂の北の祠を遠敷明神
南の祠を飲食明神といふ
二月瀧
一三月堂の垢離場なり
今法華堂の艮にあり
二月堂に籠りて
水取や篭りの僧の沓の音
法華堂は俗に三月堂といふ金鐘寺《割書:釋書|》金熟寺《割書:御巡礼記|》以羂索堂ともいふ
大平五年五年毎僧正の開基なり本尊は不空羂索観音にして朗弁の作
也東に不動尊西に地蔵菩薩共に光明后の御作也大黒天は弘法大師の御作とかや
三昧堂俗称に四月堂といふは二月堂三月堂に続きたればかくは名づけ
たりけるにや本尊は普賢菩薩又十一面観音不動明王毘沙門天
鎮守八幡宮は大平勝宝元年十二月に梨原宮に新宮を作り神宮■■■
又大佛殿のほとりにうつし其より鎌倉最明寺殿の命によつて三月堂
の南に遷し奉る
利髪塔
神前にあり聖武天皇の御剃髪を
収し石塔也
講堂の蹤は大佛殿の後なる礎石なり初め天平勝宝年中の造建にて
本尊は五丈の千手観音也一万僧會の供養ありしとは天人あまくだり花
ふり異香匂ひけるとかや永禄の回禄より滅て只礎のみ遺れり
手向山は俗に八幡山といふ
此山に大納言兼武蔵守良峯安世卿の古墳ありこれを
武蔵塚といふかの卿を神に崇めしと也
古今 朱雀院のならにおはしましける時たむけ山にてよめる
此たびはぬきもとりあへず手向山紅葉の錦神のまに〳〵 菅原の朝臣
續後撰
手向山紅葉のぬさは散にけり雪の着とゆふか■ぬ日そなき
道■■
左大臣
続千
紅葉をも花をもをれる心をは手向の山の神やしるらん
武蔵野は若艸山の麓松生茂りたる所也武蔵塚あれば如くいふとぞ
伊勢物語
むさし野はけふはなやきそ若草のつまもこもれり我もこもれり
古今抄曰此うたは業平朝臣二条の后をぬすみてならの京へ具しける時に
后のよませられし哥也
