私がレキップの活動を始めたきっかけは、2つの出来事からでした。

ひとつは、出産で命を失った友人のこと。
もうひとつは、母のガン告知。

自分のお産の際は、友人と同様、破水からの入院、陣痛促進剤を投与しての出産でした。
妊娠中は予定日直前まで仕事をしていて、無理のない程度に過ごしていたとはいえ、お産についての知識はほとんどない状態で過ごしていました。

当たり前のように子を授かり、医療機関で検診を行い、医者の言われたとおりに薬を投与し当たり前に出産する・・・自分が出産した当時は、お産が命がけであることについては正直認識していなかったと言ってもいいかも知れません。

私には5歳になる娘がいますが、子どもを授かり育てるようになってから、機会があるごとに命の尊さ、人間の本質について考えるようになりました。

赤ちゃんのときは、一人では何もできなかった娘が、いつの間にか声を発し、一人で動けるようになり、立って歩き、母乳からご飯に変わり、排泄ができるようになり、人とのコミュニケーションもできるようになり・・・私たち大人が当たり前のように行動していることの過程を習得していく日々を見ることができる喜びと幸せを日々感じながら生活しています。

現代の世の中は、命の問題、虐待、暴力などさまざまな問題を抱えています。
人間が成長する過程を無視するかのごとく、乳幼児も大人と同じようにできることが当たり前と思っていること、少子化や地域との希薄化から子を育てる経験がないまま親となり、産前産後の体や心の変化、今までと同じ生活が当たり前と思っていることに対する理想と現実とのギャップを受け入れられないことが原因の一つなんじゃないかと感じています。

私にとっての「お産の好き」は、お産とは生や死に対して深く考えること、人間が生きていくうえでの本質を間近で見ることができること、そこから食や環境に対する関心が持てたことです。

命を失えばその命は二度と戻らない、テレビのドラマやゲームのようにリセットできません。

私は助産師や看護師のような専門家ではありませんが、先人がそうであったように、これからも出産子育てを経験したひとりとして、伝承し寄り添っていくべきこともあるのではないかと思っています。

母親学級での沐浴の仕方やオムツ替え、就労復帰のことも重要ですが、これから自分の子どもを育て伝えていくためにも、命の原点であるお産をきっかけに、命の本質とは何か、人間の本質を大事に生きることとは何か、について妊娠中に考え学ぶ機会が増えていくこと、それを次世代の子どもたちにどう伝えていくかが今後重要ではないかと考えています。

文章書くのは正直苦手ですが。。。
これから活動を続けていくうえで、自分の「お産」についても今一度振り返ってみたいなと思っています。


(かおり)