ハロウィンが近いので、ちょっぴりミステリアスなお話をしたくなりました。長いですが、お付き合い下さい(*^^*)


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どれくらい前なのか、NHKで海外番組の「ナショナルジオグラフィック」を録画しました。



キリストの一生を紹介していて



この番組が好きなので、時間があったら見ようと何の気なしに録画したんですね。



後日ゆっくり見てみると、全体的に宗教色を排した作りに感心しました。学校の図書館にあった「偉人伝」のようでしたね。素晴らしい!と賞賛するでなく、なるべく客観的に、どんな国の人が見ても違和感のないようにとの意図があったのかもしれません。




生誕から始まり、淡々と一生を紹介していくなかで、最大の見せ所の奇跡をどう見せるのかに最も興味がありました。キリスト教文化の人達が作ったら、どうしても力をいれるものでしょう。



今までの流れでは、この場面を「ほら、奇跡凄いだろ!」(俺たちの宗教は凄いだろ!)とはならないだろうなと成り行きを見守りました。



やがて聖書では有名な、その場面が。ジーザスは病人を治すのです。




ジーザスは質素な家に出向きました。ある家に着き、暗い部屋に入り、病気の男性に近寄ります。記憶では
「あなたは治りたいのか」
「はい、主よ」
「あなたの病が癒えるように」
と簡単な会話があった気がします。




するとジーザスが男性にゆっくり手を伸ばし、手をかざします。



かざした手から美しい光が輝き、やがてジーザスの体全体から、目映い光が放たれます。暗かった部屋はすっかり黄金色に満たされました。




その美しい光に、私は息を飲みました。




今まで見たことのない、マットな輝きは眩しくも心地よさを放ちます。秋の太陽が照らすように部屋は明るくなり、二人の姿が照らし出されました。




あまりに美しいシーンに目が釘付けになりました。驚きと感動が満ちると、まるで自分がその部屋にいる気になるのですから。




感じたい、もっと見ていたい!と引き付けられる魅力がありました。温かなエネルギーがありました。



これが、演技と技術なの?



なんて素晴らしいんだろう。



芸術は表現するものがシンプルになればなるほど伝えるのが難しいですが、病人の男性が奇跡を体感する、えもいわれぬ表情といい、十二分に伝わってきます。





このまま終わらないでと願いながらも、ジーザスがかざした手を下ろすと、やがて光はゆっくり消え、部屋はまた暗くなりました。男性を見てジーザスは部屋を出ていきました。






すごい!まるで実録みたい。こんなに素晴らしいなんて、今の技術って、なんて素晴らしい‼





私は興奮醒めやらなくて、最後まで見ずにもう一度今の場面を観たくてたまらなくなりました。すぐに巻き戻して、ジーザスが部屋に入る所にし、わざわざ一時停止をして、そこの再生開始時間をメモしました。





再生すると見たばかりの同じシーンが始まり、
あ~なんて美しいんだろうおねがいと、感動しきりです。どんな宗教画にもないインパクトでした。





美しい物に、言葉を失うのは誰にもあると思います。ハートから反応するのですね。



また見たい!



・・・何度も繰り返しました。



ところが、4、5回目におかしな事に気がつきました。



メモしたシーンの開始時間は、だんだん遅くなっていくのです。




開始30秒ほど欠けていき、やがてシーン全体がちぐはぐになり、話が噛み合わず、次の全く違う場面に変わるのでした。




あれ?




機械が壊れたのかな?




こんなんじゃなかったのに。えー。ここで壊れるかあ?




「これは、違う。」




頭の中で男性の声がして、私はこれを観られるのはもうこれが最後なんだと一瞬で悟りました。




「違う」―――これは、特別な物なんだ。多分、不思議な事が起きているんだ。何回も再生してちぐはぐになったのなら、もう見られるのはこれが最後なんだ。





もう一度再生し、おかしくなった奇跡のシーンの見納めをしました。





これが奇跡を見られる最後と心に刻みつつ。
最初に完全な映像を見ていなければ、意味が通らない、もはや映像の継ぎはぎと化したシーンでした。




最初再生した時間は数分の場面が、いまは30秒あるかどうか。




見終わって、確認のため巻き戻して再生すると




奇跡のシーンは、もうありませんでした。




そのエピソード自体がなく、私は夢を見ている気持ちになりました。




そしてひどく残念に思いました。




奇跡のシーンが、あれほどの想像を越えたものとは思わなかった。




観ている私までもが温かさに包まれていました。名残惜しく、そっとそのぬくもりをじんわり感じました。




私さえ癒されて、いつもの私とは違い、私を平安が満たしていました。




不思議だ。何だったんだろう?




感じたことのない安心感を感じながら、狐につままれた気分でした。




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この話を打ち明ける相手はなく、長らく忘れていましたが、ひょんなきっかけで、話す機会が訪れたのでした。




スピリチュアルカウンセラーの講座に行ったある日、講師は「ジーザスの奇跡をテレビで観た」と話されました。




講師は私が録画したのと同じ番組をリアルタイムで観て、録画もしていたそうです。あまりの素晴らしい奇跡のシーンを友達に見せようと、家に招いたそうです。





ところが肝心な奇跡のシーンがなく、慌てて早送りしながら全体を通しで見直したけれど、見つからなかったそうです。





私は自分だけじゃなかったと思い出しました。
そこで、私も観ましたとシェアしました。






講師はとても驚かれ、あれはジーザスの奇跡なんだよ。こいつはヒーリングに使えそうだ、とジーザスが見せたい人に見せた、ヒーリングの真実なんだよ。そっか~観たんだ~とおっしゃいました。




私はやっとシェア出来たこと、話したくても分かって貰える相手がいなくて、黙ってなくてはならないストレスが消えた安堵を感じました。





ジーザスは今もこんな風に活動しているのですね~びっくり 





mio 翼翼