お礼状を書き上げ、投函すると
心の区切りがついて、いつ解決するか分からない悩みはまた静かに蓋しました。
これで、何かに頼らず自分自身が向き合っていなかければならない事だとはっきりしました。
自分のどこかに問題があって、私が気付くのを待っている守護霊と私がいる。
分かっていても、もどかしいものでした。
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しばらくして私はまた別の悩み事があり、御影様を思い出しました。
そこでお話ししようと、チャック袋から御影様を取り出しました。
あの。こんにちは


すみません・・・宜しくお願いします

私が悩み事をお伝えすると、仏様は大声で呆れたように仰いました。
全くお前という奴は!
そんな願い事の為に私を
呼び出したのか?
よ、呼び出し?
私のもとには国中からわざわざはるばる来て、参拝する者が押し寄せる。病気の身をおして、不自由な体をむち打ち訪ねてくるのだ。その者達はひたすら良くして欲しいと心から願う。私はそんな願いを聞き、叶えるのが殆どだ。叶えられないものには道中の無事を祈る。
だがお前はどうだ!家から出ずに私を呼び出したかと思えば自分で解決できる事ばかり叶えて欲しいと願う。
更に声は大きくなります。
これからはもっと大切で重要な願い事を言え!人生でそんな願い事は幾つもないものだ。いいか、分かったな!
ちょっと待って下さい!
仏様は一瞬で消え、途端に静寂が広がります。
仏様の雷が落ちました



叱られた。
その上悩み事を私に解決できる力があるだろうとも仰った。信じられませんでした。
自分でできる事は何でもしてる自覚があったのです。甘えておねだりするように願い事をしたつもりもなく、突き放された気持ちで一杯でした。
何でなの?
最初から怖そうな感じだったし
もう、いい

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突き放された
助けてもらえない悲しさは
その後スピリチュアルヒーリングカウンセラー講座に通った事で、なぜそう感じたのか原因が分かるのです。
大人になっても悩み事は以前経験した悲しい感情が起因しています。
私が子供の頃、親に願い事をしたり、おねだりしても叶った時はまずありませんでした。
なので、相手が人でも神仏でもお願いして叶わないと、親に願い事をしてうるさいと嫌がられ、相手にされなかった苦しい気持ちに通じて心が痛むのですね。
そして
「何でも一人でやれ、親の手をかけさせるな」
と育てられ、頼る事は悪でした。
失敗も許されなかったし、うまくいかなくても親の手助けはありませんから、何をしても自信はなく、神様仏様に頼れば間違いなく生きていけると思ったのです。言うとおりにすれば、失敗からやり過ごせると思ったのです。
そうして誰にも頼れず、本音を言えず、いつも小さくなって生きていたら、自信を失うでしょう。我慢と無理を重ねて、自分にダメ出しして小さく生きていくしかなくなります。


はい、出来そうです

なんて、とても言えません。
なので、叱られた悩みを解決するためには、遠回りでもまず私が自分の味方になり、励まし、慰めて、縮こまった気持ちを楽にしてあげるのです。
過去の怒りを、悲しみを、あの時は悔しかった!気持ちを分かって欲しかったよ!と表現していくと
すぐには問題に直結しませんが、自分を肯定できるにつれて、自然と物事が変わっていきました。大きかった悩みが小さくなり、小さな悩みは気にならないようになりました。
いつの間にか口癖の「どうしよう」が減り
仏様に叱られた悩みは、課題として見えてきました。
そうして、気が付いたのは
神様仏様に頼る前に、人に頼っていい!
自分のケアを続けていくと、いつの間にか家族や周りの人から優しくされました。
理解してもらえました。
今は悩みがなくなったのではなく、悩みをさほど気にしていません

親から見放されないよう失敗を恐れ、完璧であろうとして、どうしようと悩んで頭を一杯にして生きていたのですが、今はやれることをすればそれでいいと思えるからです。
仏様が叱ったように、人生で切羽詰まる悩みはそう頻繁にはないのですね

長くなりました。
お読み下さってありがとうございます



mio