お会いできて
嬉しいです

雨の後は、雑草抜きにいいですね。
根からきれいに抜けて
やりがいを感じます

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mioのお母さんは、かなり前に鬼籍に入りました。
入院した母は私が辛くなるからと心配して、姉にだけ自分のお葬式や埋葬場所を話していました。
晩年、日蓮宗のお寺に通っていましたが、
檀家になってお墓を買わないとお葬式にお坊さんが来てもらえないと知り行かなくなりました。(今から思えば終活をしてたのですね)
なので葬儀は姉が信仰していた伝統的キリスト教であげて、
お墓は複雑な事情のため従兄弟のお墓(仏教)に入りました。
後になって人間の都合で葬儀とお墓が別宗教だと、ご先祖様が怒る、家庭不和を招くとか知りました。
私達の事情でそうしましたが、母の希望でもあるのに、宗教では絶対ダメなのですね。
こんなお葬式をして、バチがあたるかも、怖い
と怯えていました。ちょっとした悪いことも、これが罰?かとビクビクしたのです。

ある日、職場の人間関係でちょっとした事が起き、これこそ罰だと思いました。それを家で姉に話しました。すると
神様、仏様が罰をくだすなら、分かりやすい凄い大きな辛い事をするよ。だって気付かなかったら意味ないし。
それに、いつバチに当たるんだろう?と考えてたら、何でもバチになっちゃうんだよ。
ハッとしました。
私はバチが来るのを前提にしていたのです。
果たして一周忌が来ても、姉が言うような大きな出来事は何も起こりませんでした。
宗教って、何だろうと思いました。
誰のための宗教?
何のための宗教?
死後に関しては、今ある宗教って
決まった宗教に属して信仰を持たないと、成仏できないし、天国にも行けません。と教えます。
だから宗教が成立しない時代の人類は、
地獄行き

仏教の中には、信心がない人のために死後救済してくれる仏様がいるそうですが
それなら良かった~
とは

思えないんですね
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人は死んだら行き場所があるし、
自分が選択して、あの世でまた生活したり
好きにできると知ったのは
母が世を去ってからです。
母はあちらで幸せに暮らしている

ある日それを知って安心しました。
私達は体がありますから、死んだらおしまいと耳にします。肉体がなければ「人間」が終わりでも
その後にまた別の在り方(生活)があるなら、死や死後の怖さが薄らいできませんか?
母の死で、あちらの世界が宗教に全て影響されていないのが分かりました。
見えない世界は宗教に縛られていない世界だったのですね。
それでは また

mio