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(*´∀`)
mioです
今回は長文です!
ココロが激痛に堪える時は
なんでこんなことが起きるんだろう?
何が悪かったんだろう?と
自分を責めたり、人を責めたり、あらゆるものを怖く感じて、アタマの中はごちゃごちゃになります。
そんなときには、シンプルな出来事さえ事実と感情や憶測の中で自分はどうしたいか分からなくなりますね。
我慢したり理不尽な出来事に耐え
ついに堪忍袋の緒が切れ
溢れる感情をとめどもなくかんじて
もう嫌だ。また繰り返したくない❗
周りなんかもういい、自分はこうして欲しかったとココロから叫びたくなる時は
自分の気持ちに真剣に向き合える準備ができたサインなのですね。
そっと、そのツラさが、どうして欲しかったのか思い付くまま上げてみてください。
自分を分かって欲しかった
○○さんに味方して欲しかった
誰とも親しくなれなくて、孤独で寂しかった
いくつか思い浮かぶでしょう。
そうしたら、そうだったね。わかってほしいよね、人に頼りたいよね。分かるよ、辛いよね。一人は寂しいよね、と応えていきますが
その不満は
ずーっと遡ると「同じ痛みのもととなった最初の経験」にたどり着きます。
親に言われた事、されなかった事、我慢がほとんどです。
そんなのじゃ、ダメ。もっと出来るでしょ?
自分が悪いからでしょ
そんな事してなんになるの!
どうなってもお母さん知らないからね!
大切にされたかった親に嫌な事をされながらも、愛されたいから、傷ついた出来事が増えても知らないふりをするんですね。
でも今更昔の事を言っても時効だし、謝るような親じゃない。波風を立てたくない・・・
それに育ててもらったから。お母さんなりに頑張っていたからと、最後はそこに結論付けてませんか?
嫌だったことをそれなりな理由を付けて
プラマイゼロ!
にしなくていいのです。
自分のココロにこんな風に向かい合うのは、辛い経験であればあるほど、また悲しみを振り返せざるを得ません。
親を否定するなんて、と
自分の中にこれ程の悲しみや憎しみに触れて、驚いたり、自分が怖くなる人もいると思います。
そんな部分を知るだけでもいいです。
話題にしないだけで、みんな同じ悲しみを持っていて、抱えてるのですよ。
自分のブラックな部分を出来る範囲でムリなく共感していくだけでいいんです。
それだけで、自分がほっとしますよ
暴れる感情が落ち着くと、静けさがあなたを包むことでしょう。
感情を出しきって、さっきより落ち着いていますから
ふと、
温かく接して欲しかった
したい事を認めて欲しかったんだと
本音が浮かんできます。
あぁそうだったんだ、これなんだと気が付くと
更に心は明るく光るでしょう。
私はこんな気付きのあとに、夕立の後の晴れ間に似た清々しさを感じます。
例えは違っても大きな気付きがあった人の共通したプロセスですね。
それでは また
