西暦248年以前の古代史

豊玉姫が亡くなったのが西暦248年

卑弥呼が亡くなったのも西暦248年

 

西暦200年頃の日本列島の人口は59万人くらいだそうです

 

 

宇佐神宮宮司宇佐氏の伝承によると 

他の伝承や遺跡などとの互換性が薄いので 個人的にはあまり当てにしていませんが 

一部抜粋します

 

9000年前の早期縄文時代には山城国の稲荷山を根拠地としていた

8500年前サルタ族がシベリアから来た

 

え~と

サルタ族というのは出雲族のことですが

出雲の伝承ではサルタ族は3500~4000年前に渡来したとしています

 

ウサ族は月読命を祖神として

アマツコヨミ(天津暦)は月の動きを見て月日を数えるツキヨミや

ヒジリ(日知・聖)などと呼ばれて自然科学・社会科学

特に天文学・気象学・地理学・農学・医学などを

シャーマニズムによって行なってきた 北方系の先住民族である

その族長は男性シャーマンであり代々宇佐津彦尊をという名称を襲名し...

 

宇佐氏本系図によると高魂尊たかみむすびを祖としている

高魂尊(西暦140年頃出生)の子の天三降命(155年頃出生.宇佐国造の祖)が

市杵島姫(160年頃出生)を妻とし菟狭津彦(175年頃)が生まれた

 

宇佐氏本系図では月読命を祖神としていないけど

ウサ族は月読命を祖神としているというのは 月を崇拝していたということかな

 

え~と...

シャーマンという能力は遺伝の可能性が高いので

宇佐の豊玉姫は菟狭津彦の娘ということかな?

何代目の菟狭津彦かわからないし母親もわからないけれど...

 

もしかして中臣氏も 宇佐の菟狭津彦の子孫かな...

中臣氏の祖は天児屋根命あめのこやねなので傍系ということかな?

 

先代旧事本記では 高魂尊の子が天三降命 その子が菟狭津彦(豊国の宇佐国造の祖)

 

 

隋書倭国伝によると

豊国は豊前・豊後に分割されましたが 豊後付近は秦王国と呼ばれていたそうです

 

徐福が居住した吉野ヶ里遺跡付近は 築秦王国と呼ばれるようになったが

後に 物部王国と呼ばれました

 

 

 

 

 

京都の月読神社(葛野坐月読神社)の祀官は押見宿禰

押見宿禰(=忍見命)真根子の子孫で壱岐を氏の名とした 

壱岐氏の系譜は

天児屋根命→天忍雲根命→天種子→宇佐津臣→御食津臣→伊賀津臣→梨迹臣→

神聞勝命→久志宇賀主命→國摩大鹿島主命→臣狭山命→雷大臣命→真根子→以下略

 宇佐津臣の母は菟国宇佐津彦の娘(宇佐津彦と宇佐津媛は世襲名なので年代不詳)

 神聞勝命の分家の子孫が武蔵卜部・伊豆卜部・鹿島卜部など

 臣狭山命と彌麻志姫(忌部首祖・玉櫛命の娘)の子が雷大臣命

 雷大臣命は神功皇后の三韓征伐に同行したらしい (年代は推定350年頃?)

 真根子から壱岐卜部と対島卜部

 真根子の5世後が忍見命(487年に京都に行く)

卜部氏の子孫が中臣氏です

 

これを見ると宇佐津臣は 宇佐神宮の菟狭津彦と同一人物じゃないですか

卜占というのは古代の中国から伝わってきています

 

 

 

 

神話

高木神の命をうけた天照大神の命で

天照大神の子・天忍穂耳と高御産巣日神の子・栲幡千千姫の子が瓊瓊杵尊(天照大神の孫)

高御産巣日神の命で日向国の高千穂の峰に天降りした

その前に邇芸速日が天降りした(瓊瓊杵尊の兄)

 

邇芸速日命とは丹後のホアカリ(天火明命)のこと

 

 

古事記では

高皇産霊尊の娘・万幡豊秋津師比売命と天照大神の子・天忍穂耳命の子が瓊瓊杵尊

 

日本書紀でも同様だが

高皇産霊尊は壱岐と対馬の月神と日神の祖と記されている

・・・そうですよねぇ そうしないと辻褄が合わないよねぇ

・・・でも 高皇産霊尊と天児屋根命は同じではないんですよね

・・・本家筋と分家筋ということかなぁ

 

 

高御産巣日神たかみむすびのかみ 

別名はたくさんあって高皇産霊尊・高木神・高魂命など

 

高魂命たかみむすびのみことの子の天三降命

先代旧事本記によると 天三降命は

邇芸速日命の天降りに随伴した32人の防衛の1人

 

天児屋根命

天孫降臨の瓊瓊杵尊に従った5部神(天児屋根命・太玉命・天細女命・石疑姥命・玉屋命

太玉命と共に卜占を行なう

七世紀初め卜部氏の子孫に文字化されたという弓前文書では

天児屋根命は神霊(託宣の神)と報告している

 

太玉命は忌部の祖

新撰姓氏録では 高皇産霊尊の子

古語拾遺では 高皇産霊尊の子・栲幡千千姫の子で天忍日命と瓊瓊杵尊と同母兄弟

 

 

出雲の伝承

出雲に上陸した秦徐福はホアカリと名乗っていたが子の五十猛を残して帰国

有明海から再上陸した秦徐福は二ギハヤヒと名乗り

徐福の母は高木と名乗っている

ニギハヤヒと市杵島姫の子がホホデミ(彦火々出見尊=火遠理命)

 

このニギハヤヒを 神話では瓊瓊杵尊としている

 

瓊瓊杵尊は霧島神宮に祀られているとされています

桜井識子著「倭の国の神さま」によると

霧島神宮に祀られているのは瓊瓊杵尊のモデルとなった人だそうです

 

 

高木とは 高皇産霊尊のことなので

高皇産霊尊の子の天三降命や太玉命は 徐福の兄弟か

 

シャーマンの可能性が高い忌部氏の祖の太玉命は

紀元前210年に有明海に渡来した徐福に同行して渡来したと思っていたけれど

徐福の兄弟の可能性が濃厚ですね

秦始皇帝が亡くなったので徐福は一族と共に渡来したようです

天三降命の子孫は卜占をしていて卜部氏となっていますが

太玉命も卜占をしていたという記述が残っています

 

 

卜占というのは亀の甲羅や鹿の肩甲骨を焼いてそのヒビ割れで吉凶を占うモノですが

志賀海神社にたくさんの鹿の角があるんですよ これは卜占のせいか?

志賀海神社の祭神は綿津見三神とされていますので

安曇氏は 古代九州の西南部の隼人族や

東南部にいたナギサの民と同様に縄文時代以前にスンダランドから北上してきた

航海技術に長けていた半農半漁の海人族と推測していますが

当時の人々が神を祀るという概念があったのかしら?

何故 鹿の角が?

年代の推測が出来ないのですが 志賀海神社が現在地に創建されたのは二世紀ころらしい...