子どもの人権をどうまもるのか 第2回
今日は子どもの人権についての歴史を学びました
社会福祉の原初形態
日本の社会事業
人間の本能
社会共同意識
宗教的立場
行政的立場
…本能ってある
相互扶助としての福祉
家族、親族、地域社会、企業
宗教活動としての福祉
政策としての福祉
人間愛としての福祉
子どもの変遷
中世:小さな大人
17世紀コメニウス
18世紀、19世紀:ルソー、ペスタロッチ、フレーベル
ルソー、エミール
子どもの発見
…ルソーは内縁の妻との間にできた5人の子を孤児院の前に捨てたという強烈な印象しかない
イギリス救貧法
有能貧民、無能貧民
工場法:子どもは過酷な労働から保護される
児童の世紀
ケイ・E エレン・K、スウェーデンの教育学者
子どもに関する白亜館会議
貧困(日常生活保障)
労働搾取からの保護
教育の享受
権利と人権
権利:義務や責任を果たさないものには権利は認められない
人権
強者から弱者を保護する
人権は、弱者の立場の確保を目的として庶民が強者から獲得した譲歩
→すべての人に無条件に保障されるべき
日本国憲法第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである
世界児童憲章
1922
教育と日常生活の保護
…生きていける最低限ぽい
ジュネーブ宣言
国連1924
生存権あるいは生理的ニーズに近いレベルでの保護
ニューヨーク児童権利宣言
1959 国連
救済型→保護型への転換…そんなに画期的ともいえない
未熟だから保護しよう、みたいな感じ
コルチャック
ユダヤ系ポーランド人
アウシュビッツ収容所やそれに抵抗して子どもを守ろうとした人
最後は子どもたちと銃殺された
…wikiを見ると、子どもたちが最後の一人まで銃殺されるの見せられた後に、コルチャックも銃殺されたらしい。そして収容されていた間の執筆物は弟子みたいな人がのちにまとめて出版したらしい泣ける
国際人権規約
1966
未成年者としての子ども
完成者、成熟者としての青年に達していない存在という見方
ここでもまだ、子どもの人権・権利はあんまり組み込まれていない
子どもの権利条約
1989
「保護される存在としての子ども」→「固有の人格主体、権利主体としての子ども」
選択議定書
2000
武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約の選択議定書
児童の売買、児童買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書
通報手続に関する選択議定書
歴史のパートは、覚えること(きっちり覚える必要はないかな)が
多くて大変
けど、子どもの人権ががっちり保障されるようになったのは、1989年と私が生まれるちょっと前だったのか~と新たな発見
それまでは、「未熟者だから保護する存在」って感じだったのね
こういう流れがあるんだな~と思うと、自分の親世代とも、
子どもに関する価値観の違いがあってもおかしくないな、と思いました