この素晴らしいイースターの日曜日に集うにあたり、私たちは信仰の礎であるイエス・キリストの復活を祝います。

この日は希望の光であり、神の無限の愛と力の証しであり、私たち一人ひとりの変容への呼びかけでもあります。イースターは単に過去の出来事を思い起こす日ではなく、私たちの現在を形作り、未来を照らす生きた現実なのです。

イースターの真髄は、愛は死よりも強く、光は闇を払いのけ、墓から生命が現れるという深遠な真理にあります。復活は、罪も、苦しみも、死そのものさえも、神の愛から私たちを引き離すことはできないという神の決定的な表明です。この真理は、希望というレンズを通して私たちの人生と世界を見つめ、目先のことを超えて永遠のものを見るように私たちを招きます。

さて、私たちは一人ひとりが心の中に、恐れや失敗、傷の重みに埋もれているような場所、さながら墓のような場所を抱えていることに気づかされます。このような場所は、希望が乏しく、復活が不可能に思えるような場所です。しかし、復活祭のメッセージは、これらの墓は開くことができ、かつて死しか存在しなかったところに新しい命が芽生えることができるというものです。復活の日の朝の空の墓は、神の愛が私たちの存在の最も暗い隅々にまで浸透し、豊かな命をもたらすことができるという約束なのです。

この信仰に生きる者であることは、この希望と変容のメッセージを日々の生活の中で実践することを意味します。それは、私たちが個人的にも集団的にも直面している課題を、行き詰まりとしてではなく、成長と刷新の機会としてとらえることを意味します。絶望にさいなまれることの多い世界で希望の担い手となり、紛争の場で平和の道具となり、苦しみの状況で慰めの源となるよう、私たちに問いかけているのです。

そして、復活の民として生きるとは、復活祭・主の復活の現実が私たちの他者との関わりを形づくるようにすることです。それは、赦しを実践し、思いやりを広げ、困難であっても愛を選ぶことを意味します。それは、私たちが出会うすべての人の中に神の姿を認め、すべての被造物に畏敬の念と配慮をもって接することを意味します。憎しみや誤解によってしばしば分断されているように見える世界において、主の復活を祝う私たちは、橋を架け、傷を癒し、バラバラになったものをひとつにするよう求められています。

主の復活はまた、私たちが希望の使者となり、社会の最も暗い場所に復活の光を運ぶよう呼びかけます。正義のために立ち上がることであれ、すべての人の尊厳のために働くことであれ、社会から疎外され、忘れ去られた人々の世話をすることであれ、私たちは、神の現在進行中の世界の刷新と救済の働きに積極的に参加するよう求められているのです。復活の力は過去にとどまるものではなく、現在の現実を変え、未来を形作ることのできる生きた力なのです。

復活祭を祝うにあたり、私たちは復活の喜びとこの神からの招きを受け入れましょう。復活したキリストの希望を人生のあらゆる場面に携え、主の復活を祝い、あずかる者として生きる決意を新たにしましょう。ご復活の光が私たちを通して輝き、暗闇の中を歩く人々に希望を、恐れの中に生きる人々に愛を、死の陰に住む人々にいのちをもたらしますように。

復活したキリストの平和と喜びが、今日も、そしていつも皆さんと共にあり、皆さんを導き、強め、主の愛の光の中で完全に生きるよう奮い立たせてくださいますように。