引き続きの山々です。
雪山(せっせん)
雪山(Hima-vat)、すなわちヒマラヤ山脈です。インドでは徐々にHimālaya(Hima+ālaya( 雪の居処))と呼ばれるようになったようですが、梵語と対照できる仏典でヒマーラヤの語を使っているのは、インド仏教最末期に著された『大方広菩薩蔵文殊師利根本儀軌経』くらいなので、「仏教では」ヒマラヤ=Hima-vat=雪山と考えていいと思います。
峻険ではあるものの、中天竺のごく近くにあり、部派仏教時代には「雪山部」というヒマラヤ山中を拠点とした教派があったくらいなので、仏教世界的には既知のエリアで、あえて仏典で地理を語ることは多くありません。
ただアーガマ系では、一辺・高さともに500由旬(『大楼炭経』では高さ100由旬)としています。『起世経』では山が四宝でできていて、四面には高さ20由旬の峰があるそうです。さらに山中に宝山(ほうせん Ratna-parvata)があるとしており、『起世経』は高さ100由旬、『世記経』は高さ20由旬としています。『大論』によれば宝山の山頂には如意宝珠や各種の宝があるけれど、たどり着ける者はほとんどいないとのこと。いいですね。聖山の頂上に眠る聖宝。これぞ仏教世界です。
ちなみに宝山の頂上を500+20由旬としても標高4,160km。宇宙ステーションの軌道よりもはるかに高いです。当然空気はほぼ全くありません。
また、縦横500由旬という単独の山のような記載ですが、『世記経』は同時に「東西は海に入る」、つまり南贍部洲を完全に分断する東西に長い山脈のような記載もしています(実際のインドの地理がそうなってますし)。
『正法念経』では、雪山には種々の山峰があり、それらの眷属の幅は1,000由旬になるとの記載があります。要するに雪山本体とは別に、「眷属」が山脈として横に長く連なっているという解釈でしょうか。
その他、薬の材料になる霊草・霊木があるという記載が諸経に散在しています。中でも『華厳経』に記載する薬王樹はスケールが飛びぬけていて、根が金輪を抜けて水輪との境のいわゆる「金輪際」まで張っているので、堅固で絶対に揺れ動かないとのこと。南贍部洲の中央にある金剛座ですら根は金輪の上で止まっているので、恐ろしい木もあったものです。
これと同じ木か分かりませんが、『観仏三昧海経』にある「殃伽陀」なる木は、冬の間に育ち、雪が解けると山間に大きさ1/2由旬の丸い実を残すそうです。この実を食べると1劫生きることができ、ほぼ不老不死になると。夢のある話ですが、問題は直径4,000mの実をどうやって食べるかです。まあ、高山地帯には氷河によって運ばれた嘘みたいな大きさの巨礫があるみたいなので、そういうのを見て幻想をふくらませた感じでしょうか。
黒山(こくせん)
黒山(Kāla-parvata)は、雪山の南または北にあるとされる山です。どういう山か諸経の記述が極端に少ないのですが、世界の諸山を挙げる際に『十住毘婆沙論』では「須弥山・由乾陀等十宝山・鉄囲山・黒山・石山等」、『法華経』では「土山・黒山・小鉄囲山・大鉄囲山・十宝山」、『荘厳経』では「土石等山・黒山・雪山・宝山・金山・須弥山・鉄囲山・大鉄囲山」と列挙しています。これが昇順あるいは降順に山の序列を表しているとすれば、黒山はかなり序列の低い山、普通の山とさほど変わらない山と見られている可能性があります。
『根本説一切有部毘奈耶薬事』では雪山の南に九つの黒山があり、雪山を越えた北にまた黒山があるとの記載があります。ここから察するに、ユニークな山の名前というよりは、雪山との対比として「冠雪するほど高くなく山頂まで黒い山」という一般名詞と解した方がいい気がします。
で、南贍部洲の黒山は「9つ」と「7つ」の二系統があるため、それぞれ見ていきます。
- 九黒山(くこくせん)
『倶舎論』その他のアビダルマ系で三つ並んだ黒山が三重にある、つまり3×3で九つの山が並んでいるとしています。『倶舎論』が須弥山世界のスタンダードになったので広く知られていますが、これ以上の情報は実は全くありません。アビダルマ系では最も浩瀚な『婆沙論』でもだんまりです。
『望月仏教大辞典』では、ヒマラヤ主脈・マハーバーラトレク山脈・シワリク丘陵のヒマラヤを構成する三層の山脈を指しているのではないかとしていますが、これだと一層目の黒山が雪山と同一になってしまうので、九黒山の北に雪山があるという記述と矛盾してしまいます。ただ、『根本説一切有部毘奈耶雑事』でも「七大黒山・七大金山・七大雪山」という列挙があるので、ヒマラヤ山脈に並行した山列を金山とか黒山としている可能性は十分にあり、9つの山というより3列の山脈あるいは山地と解した方が自然ではあります。
ちなみに倶舎論では黒山に"Kṛṣṇa-parvata""Kīṭa-parvata""Kīṭādri"の三種類の語を使っています。"Kīṭa"に「黒」の意味はなくアリ・ハチ・イナゴなど、まあ日本語にあてはめるなら「虫けら」ですかね。三蔵法師訳では3つとも「黒山」で訳してますが、真諦訳では、Kīṭaは「蟻山」と訳した上で、「全て低層にある山なので蟻山という」と原文にない注を入れています。
おそらく蟻に何か関係があるというより、純粋に低劣を表現しているだけと思います。例えばヒンドゥー教の「ヴァラーハ・プラーナ」で南贍部洲の山を列挙する際、A級の山を列挙した後、"kṣudrā pārvata"(卑しき山)としてB級の山を挙げています。日本人の感覚だとそんな貶める言葉を使わなくても良さそうなものですが、古代インド人には聖山とそうでない山の「格の違い」は明確に強調しないといけないほど重要なことなのでしょう。つまり九黒山は、聖山たる雪山の近辺の「虫けらのようなとるにたらない山」「雪もかぶっていないただの黒山」という対比的な意味の山名かと。
- 七黒山(しちこくせん)
アーガマ系では雪山の東に毘舎離城があり、その北に七つの黒山があるとしています(九黒山と違って配列は分かりません)。
山名は
- 『起世経』 不正叫山、叫喚山、不正礼山、賢山、善山、牢山、勝山
- 『世記経』 裸土山、白鶴山、守宮山、仙山、高山、禅山、土山
となっています。
そして、黒山にはそれぞれ国と聖仙がセットになっています。
国名は
- 『起世経』 偏廂、一搏、小棗、何髪、百偏頭、能勝、最勝
- 『世記経』 拘楼、拘羅婆、毘提、善毘提、漫陀、婆羅、婆梨
仙人名は
- 『起世経』 善眼、善賢、小、百偏頭、爛物池、黒入、増長時
- 『世記経』 善帝、善光、守宮、仙人、護宮、伽那那、増益
- 『大楼炭経』 機機榆、施泥梨、鬱単、禅、迦蛇、優多羅、波被頭
となっています。『世記経』の七国が七黒山の消滅とともに他の三洲の中洲に変わった可能性があることは前に書いたとおりです。
国があって山があってそこに聖仙が住んでいるので、どちらかと言えばヒマラヤ山中にある小国・居住地を指しているのかもしれません。毘舎離の北側と言えばちょうどカトマンズ盆地のあたり。ただ見てのとおり実際の地名に比定できそうな感じはしません。あるいは『善見律毘婆沙』に出る雪山辺国(himabantapada-desa)と同一かもしれませんが、情報不足です。
また、『立世論』でも、北に向かうと七黒山があることになっています。
- 小黒山 0.375由旬幅・高
- 大黒山 0.75由旬幅・高
- 多犛牛山 1.5由旬幅・高
- 日光山 3由旬幅・高
- 銀山 6由旬幅・高
- 香水山 12由旬幅・高
- 金辺山 24由旬幅・高
金壁山(こんびゃくせん)
烏禅伽羅山(うぜんぎゃらせん)
懸雪山(げんせっせん)多摩伽羅山(たまぎゃらせん)
鶏羅沙山(けいらしゃせん)
多摩伽羅山の北にある白銀の山です。明らかにカイラーサ山(Kailāsa)の音写です。ヒンドゥー教では大自在天の聖山で、『マハーバーラタ』でも大自在天と多聞天が住んでいることになっています。ただ『正法念経』では多聞天ではなく増長天が住んでいることになっていて不思議です。どっちにしても、須弥山に四天王天が作られて四天王はそちらに引っ越したはずなので、仏教的には不自然なんですが。
『楞伽経』では「鶏羅山」「輪囲山」「金剛山」が諸山の代表として列挙されており、メジャーな山という認識だけはあるようです。
峰山(ふせん)
鶏羅沙山の北にある山です。緊那羅の王が山麓にいて、歌い踊っていると。峰山というだけあり、5つの金峰、3つの水精峰、10の白銀峰があり、山中から流れる「鳩摩羅」なる川には無数の鳥がいるとこと。
『マハーバーラタ』にはカイラーサ山の北のマイナカ山に宝石の峰があるとの描写があり、『正法念経』とちょっと似ていますが関係は分かりません。
「鳩摩羅」は、護国神に詳しい人なら韋駄天の別称であることに気づくかもしれません。鳥類の話も韋駄天との関係を連想しますが…残念ながら韋駄天の象徴である孔雀の言及が全くありません。何より"Kumāra"自体、そもそも「童子」という一般名詞なので("The boy"で童子神の代表である韋駄天を指しているわけです。)、これだけで韋駄天との関係は示せないでしょうね。
弥那迦山(みなかせん)
峰山のさらに北にある最北端の山です。明らかにマイナーカ山(Maināka)の音写で、上述のとおりヒンドゥー神話でも言及のある山です。一辺50由旬でアスラ族が常に歌い踊っているようです。あまり近づかない方がよさそうです。