香酔山・無熱悩池の余談、この山と池、「仏教ではカイラース山・マーナサローワル湖とされています。」という解像度低めの解説が多いですが、ちょっとどういう過程でそういう説明になるのか、ちょっと考えてみましょう。結論のある話の過程を引き延ばしてるので冗長です。興味のない人は読み飛ばしを。
まず「倶舎論以前」の香酔山と無熱悩池に場所を示すものがあるか見てみましょう。
まず香酔山(ガンダマーダナ)は名高い仙山としてはたびたび登場していますが、位置は必ずしも明らかではありません。ただ「北の果て」という漠然としたイメージはあるようです。『倶舎論』でもそうですがアーガマ系経典でも香酔山の北に山川はありません。一番北にある地形物です。『マハーバーラタ』第6巻第6章では須弥山のさらに北にあることになってます。
ちなみに『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』ともに、北の山々のなかでガンダマーダナとカイラーサが別個に列挙されていることだけ特筆しておきます。つまり古インドの伝承では香酔山とカイラース山は同一視はされていなかったことになりますね。
無熱悩池(アナヴァタプタ)はほぼ情報がないので、マーナサローワル(マーナサ)湖から見てみましょう。マーナサ湖は『マハーバーラタ』第2巻第27章でヒマラヤのさらに奥にあることが示唆されており、さらに他の個所ではガンジスの源流であることがたびたび触れられています。(ガンジス河神の子ビーシュマが壮烈な戦死を遂げた際に、マーナサ湖の白鳥たちが仙人の姿で降臨し死を見届けるシーンが印象的です。)ガンジスはヒマラヤ南麓の氷河の中に消えているので、水源の湖があるとすれば雪山の奥、もしかしたら頂上にあると考えるのは自然です。アーガマ系の無熱悩池が雪山の頂上に設定されているのはこのあたりが起源かもしれません。世界の頂上にある水源池なら、ついでに世界の諸河の水源になっててもいいですし。
ちなみにガンジスの水源は牛の口(Gomukha)という氷河の割れ目となっています。マーナサ湖と諸河を結びつける時に、ガンジスが牛の口から出るなら他の河は他の獣の口にした、といううがった見方もできますが、この辺は分かりません。
で、『倶舎論』が、離れているはずのこの山と湖をマリアージュさせ作ったのが「北に香酔山、南に雪山、その中間に無熱悩池があって世界の諸河の水源」という世界観です。これが仏教(より正確には「北伝仏教」です。南伝仏教にはこの位置づけは一切ありません。)のスタンダードとなり、インドで北伝仏教が衰亡した後も東アジアで定着しました。
この位置づけがカイラース山とマーナサローワル湖を指しているのはまず間違いないと思います。ヒマラヤ山脈のすぐ北側、トランスヒマラヤ山脈との中間地帯はわだちのように低くなっています(地質学的には「インダス・ツァンポ縫合帯」と呼ばれるプレート境界だそうです)ここをインダス水系とガンジス水系がヒマラヤの東西から回り込むように流れていて、二つの水系の分水嶺になっているのがカイラース山・マーナサローワル湖です。インダス水系のインダス川・サトレジ川、ガンジス水系のガーグラー川・ヤルンツァンポ川の源流がここに集まっており、まさにインド人にとっては奇跡の地といっていいでしょう。『倶舎論』の時代には仏教圏はカシミールまで広がっていたので、この地の知見を得ていても不思議ではないし、知っていたなら無熱悩池を雪山の頂上からわざわざ北側に下ろすのも納得いくとところです。そして湖の北のカイラース山も分水嶺という以上の霊峰としての威容を保っています。
再掲地図ですがこの通り。控えめに言って奇跡の地です。
この比定に気づいたのは実は中国人です。清朝がチベットを支配すると、西蔵地方の地理についてもいろいろと知見が増え、カイラース山とマーナサローワル湖こそ香酔山と無熱悩池だろうと地理書に記載されるようになりました。誰が最初に主張したかはちょっと調べられませんでしたが、欽定地理書の『大清一統志』に記載されたのは大きく、『水道提綱』『西域水道記』『万山綱目』『漢西域図考』といった錚々たる書物が右にならえの記載をすることとなりました。ただ、もともとガンダーマナ山と別の山だったはずのカイラース山の名が命名されてしまったのは痛恨事ですが。
ここで中央アジア探検に詳しい人は口を挟みたくなるかもしれません。待て待て、マーナサローワル湖=無熱悩池を初めて発見したのは確かさまよえる湖で高名なスヴェン・ヘディンではなかったか?
ところがヘディンの探検記を読むと、マーナサローワル湖=無熱悩池と知ったのは、「キオト」の町で「オガワ氏」に『水道提綱』の訳を事前に示されたためです。オガワ氏は中国古代地理研究の碩学である京大の小川琢治博士のこと、皮肉なことに中国での研究成果が当時国際舞台に乗りだし始めていた日本人によって西洋人に伝えられたことになります。そして、ヘディンはヒンドゥー教でもなくラマ教でもない、北伝仏教の知識のみをもってマーナサローワル湖を紹介し、それが西欧に大々的に伝えられたわけです。仏教にとっては快哉事ですね。
20世紀初は日本仏教が本当に滅亡寸前だった時代です。北伝仏教の研究・世界への紹介のほか、河口慧海や橘瑞超のように仏跡を訪ねてカイラース山・マーナサローワル湖を自ら尋ねた仏僧もいます。滅亡の危機感がかつてないエネルギーを生んでいた時代でした。インドの仏跡は18世紀までほぼ全てが廃墟化し、19世紀以降に再発見・再整備され今ではインドの貴重な観光資源となっていますが、日本人が寄与したものも多いようです。
そして実は、もう一箇所無熱悩池に比定されている場所があり、北のかたパミールの山奥にあるアムダリヤ川の水源近いゾルクル湖です。この説を唱えたのは意外なことに三蔵法師です。『大唐西域記』『慈恩伝』でこの湖が「大竜池」という名で紹介されていますが、南贍部洲で最も高い場所にあり、この湖から東に縛芻河が流れ、西に徒多河が流れるとしています。明言こそしていないものの無熱悩池と考えていることは明らかです。
ちなみにこの湖、実際は上の地図のとおりアムダリヤ川の源流になっているのは事実ですが、タリム川の水源からはかなり離れています。ガンジス・インダス川の水源はさらに彼方です。「諸河の水源」というには正直弱いです。
イギリスUCLのサミュエル・ビール教授は『大唐西域記』を英訳した際に、当然のごとく無熱悩池をゾルクル湖に比定しています。さらに注して氷河が解けた冷たい水で満たされているため「無熱」と言うのだと言っていますが、これだと中央アジアの川の水源となっている氷河湖はみんな無熱悩池にできてしまいますね。
清代にチベットと同様に新疆の地理的知見も高まると、インダス・ガンジスを初めとする諸河の源としては、ゾルクル湖は北にありすぎて不自然であることが指摘され始めました。魏源『海国図誌』でもゾルクル湖=無熱悩池は三蔵法師の誤りであると駁しています。
西欧人も同じことに気づき始めたようで、『大唐西域記』をバイブルとして中央アジアを探検したオーレル・スタインがゾルクル湖を訪れた際、『大唐西域記』の説について「現地で観察した事実の正確な記録に、この俗信が妙な形で入り混じっている」(沢崎順之助訳『中央アジア踏査記』)と、誤りを示唆しています。残念ながらこの点についてはスタインに左袒せざるを得ないですね。何の根拠もなくこの湖を南贍部洲で最も高い場所だと断言するのが不自然というか、らしからぬ記載で、三蔵法師の明晰な眼もここだけは思い込みで曇ったと言うべきでしょう。
ヘディン・スタインの二巨頭に否定されてしまっている以上、ゾルクル湖=無熱悩池のラインはほぼ消滅したといっていいでしょう。そしてマーナサローワル湖=無熱悩池、カイラース山=香酔山が定説になったという流れですね。
平成の日本が大金持ちだった時代は、マーナサローワル湖、カイラース山を訪ねるパックツアーもあったようですが、今では難しそうです。この湖と山は2025年時点で「阿里神山聖湖景区」といういわゆる未開放区となっており、中国の旅行社が入境の管理権を独占しています。独力で立ち入ることはできません。
日本人には遠い場所になりましたが、遠くにあるからこその憧憬もあるということで
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