引き続き諸山の山河の個別解説です。

 

無熱悩池(むねつのうち)

無熱悩池(阿耨達池 Anavatapta)は、母なる大河の河源という意味では、ナイル川の「月の山脈」や黄河の「星宿海」のように伝説化されやすいロマンティックな場所ですし、実在の大河源流が交わる場所という意味では、現実の中央アジア地理に照らしてモデル探しがしやすい、いわば須弥山世界の灯台のような存在です。

 

まず場所、『倶舎論』ほかアビダルマ系や『阿育王経』は雪山(南)と香酔山(北)の間、アーガマ系は雪山の高さ100由旬の山頂、『大論』も雪山の中、『瑜伽論』は雪山の側、『弘道広顕三昧経』は雪山の下としています。

 

大きさは例外なく一辺50由旬の正方形です。これだけ諸経に記述があって全く異同がない事項も珍しいです。異説だらけの須弥山世界で唯一確実なもの、それは無熱悩池の大きさと言いたくなります。なお『瑜伽論』に深さも50由旬との記載があります。

 

『倶舎論』ほかでは池の水は七山七海の水と同じ八功徳水となっていますが、『十住断結経』では清く澄んで虚空の色であるとの描写があります。完全無色透明だと言いたいんでしょうかね。池の底は『世記経』では金沙になっているといい、『大楼炭経』『大論』では七宝の種々の蓮華があるとなっています。

 

アーガマ系では、池の周りは7重の土塁・垣・網飾り・並木で囲まれて七宝で彩られているとなっています。一方アビダルマ系の『婆沙論』では流れ出る四大河が池の周りを時計回りに一周してから流れ出すとしているので、あまり飾りを配置するスペースがなさそうです。なお、『婆沙論』の一周がメジャーになってますが、『十住断結経』は四大河が七周することになっています。上から見ると渦巻き錯視が起こりそうです。渦巻きの河の間は1由旬の間隔があり、種々の蓮華が咲き乱れ自ら光り輝き、種々の鳥や薬草が満ちているそうです。

 

ナーガの住処について言及している経典もあり、アーガマ系では池の水中に阿耨達竜王の竜宮があって、竜王が常にそこにいるとのことです。(『大楼炭経』は竜宮の名を「般闍兜」としています。)『十住断結経』によれば竜宮は一辺50由旬とのことですが、これだと池にすっぽり収まってしまうので、池の中にあるわけではなさそうです。まあ池自体が竜の住処であり聖地なわけですから、別に竜宮を設定する必要はないといえばないですね。『瑜伽論』は無熱悩池ではなく、傍の閻浮樹に「善住竜王」がいて500匹の牝象を率いているそうです。ハーレム…というわけでもなさそうですが、この取り合わせはなんでしょう。

 

四天王の時もそうでしたが、八大竜王としての阿耨達竜王はここでは触れません。「八部天衆」系の護法神ヒエラルキーは須弥山世界との食い違いが大きすぎるので、混ぜるといろいろおかしくなります。

四大河(しだいが)

無熱悩池を河源として流れ出す四つの大河(Catasro nadyaḥ)です。河名は諸経でおおむね異同はなく

  • 恒河(Gaṅgā)
  • 信度河(Sindhu)
  • 徒多河(Sītā)
  • 縛芻河(Vaksu)

の4つとなっています。恒河=ガンジス川、信度河=インダス川なのは疑いのないところ。徒多河はタリム(ヤルカンド)川、縛芻河はアムダリヤ川と目されているようです。『僧伽吒経』ではこれにガンジス川の支流である耶牟那河(Yamunā ヤムナー川)を加えて五大河としていますが、後述の恒河+四支流を五大河とする方がメジャーです。

 

四大河は池の四面にある獣の口からマーライオンよろしく水が流れ出しているということですが、流れる方角・獣の種類などは諸経でそれなりに異同があります。

基本形は東西南北4方向に獣口があって、各方向の海に河水が注いでいる形で、方角と河名に異同はなく、獣の種類だけにいくつかバリエーションがあります。

 

方角:河名    獣口1  獣口2  獣口3  獣口4

東:恒河     象    牛    牛    象

南:信度河    牛    獅子   獅子   獅子

北:徒多河    獅子   象    馬    牛

西:縛芻河    馬    馬    象    馬

※獣口1:『婆沙論』『大論』『起世経』『華厳経』

 獣口2:『世記経』『出曜経』

 獣口3:『増一阿含経』

 獣口4:『十住断結経』

 

なんか並べるとパズルじみてますが、四大河の方角と、四方の獣という部分は決して譲れないけど、どの獣とどの河が対応するかはあんまり定着したものはなかったということですね。

 

ただ、ガンジス川も中天竺では東流しているし、インダス川も河口付近では南に注いでいるけど、大きく見るとどちらも南東、南西と斜めに流れているため、ちょっと形が違います。

 

そして上記の説の致命的な欠点ですが、仏教世界すなわち中天竺が恒河流域にあることを自明に考えると、中天竺は無熱悩池から真東に流れる恒河流域にあり、雪山は西方向にあることになってしまいます。これは雪山が中天竺の北側にあるという『倶舎論』の記述と矛盾しますし、それ以前にインド人の基本的地理認識と全く合わなくなってしまいます。

 

何せ王舎城や舎衛城に住む人が顔を上げれば、明らかに北側にヒマラヤ山脈が見えるんですから。いくら教学を修めた高僧がヒマラヤは実は西にありますといってもそれは無理でしょう。

 

『心池観経』ではこの点に気づいたのか、四大河が対角線上に斜めに流れるように設定しています。

方角:河名    獣口

南東:恒河    象

南西:信度河   牛

北東:徒多河   馬

北西:縛芻河   獅子

 

これだとすっきりします。現代の世界地図から見てもヒマラヤからパミールまでの高地を中心とするならば、ガンジス・インダス・アムダリヤ・タリムの四大河はおおむね斜め方向に流れているので正確です。

 

 

ただ、仏僧には東西南北から水が出ないのは美しくないと感じたようです。『大唐西域記』は、獣口は東西南北だけど、河水は斜めに流れるという折衷的記述をしています。

方角:河名    獣口   流出先

東:恒河     牛    南東海(ベンガル湾)

南:信度河    象    南西海(アラビア海)

北:徒多河    獅子   北東海(ロプノール湖)

西:縛芻河    馬    北西海(アラル海)

という感じです。構造としては、『婆沙論』と同じように獣口の水は一周右繞(正確には一周+1/8周)した後、斜めに流れていくという形です。

こんな感じ

流出先は、橘瑞超の探検記で比定されている海を記載してみました。タリム川がロプノール湖に流入するとしているのは橘の誤りで、タリム川は古来から途中で干上がる涸れ川です。(ロプノールに流れ込んでいたのは近傍のコンチェダリヤ川)

 

徒多河は黄河に通じていることになってますが、上の地図を見てもらって分かる通り、タリム川と黄河源流はかなり離れています。(ついでに言うと積石山は黄河源流からも離れて地図から地図から見切れています。)

 

そもそも徒多河はインド文化圏から一番遠く、ラマ教でも伝説の都シャンバラと結びつけられるなど、あまり実在の地理を反映している感じがありません。タリム川に比定されたのは、世界地図を俯瞰しながらあてはめた近代人の思想に過ぎないのかも。

 

ちなみに獣口の材質の記載がある経典もあります。

『婆沙論』『大唐西域記』 象:金、牛:銀、獅子:玻璃、馬:瑠璃
『十住断結経』 象:硨磲、牛:瑪瑙、獅子:金剛、馬:瑠璃

どっちかといえば『十住断結経』の方が豪華仕様ですね。

 

この四大河が全ての川の源になっているというのが基本の考えで、アーガマ系では四大河それぞれに500の支流があるとしています。『婆沙論』は四大河それぞれに4つの支流名を挙げており、恒河は

  • 閻母那(Yamunā) 現:ヤムナー川
  • 薩落瑜(Sarabhū) 現:ガーグラー川
  • 阿氏羅筏底(Aciravatī) 現:カルナリ川
  • 莫醯(Mahī)現:コシ川

となっています。恒河とこの四支流を合わせた5河は、同じ『婆沙論』の別の場所や他の諸経でしばしば「五大河」とされています。

 

信度河は

  • 毘𮆎奢(Vipāśā) 現:ビアース川
  • 藹羅筏底(Irāvatī) 現:ラヴィ川
  • 設呾荼盧(Śatadru) 現:サトレジ川
  • 毘呾裟多(Vitastā) 現:ジェルム川

となっています。

 

縛芻河は「筏刺弩」「吠呾刺尼」「防奢」「屈惷婆」が挙げられていますが、こっちはよく分かりません。『ヴァラーハ・プラーナ』85章だと、ヴィンディヤ山脈を源流にVeṣṇā川、Vaitaraṇī川、Pāśā川、Kumudvatī川があり、『ブラフマーンダ・プラーナ』16章だとパーリヤートラ山脈を源流にVarṇāśā川、Vṛtraghnī川、Pāśā川、Kṣiprā川があることなってて音写は似てますが、どちらもインダスよりはるかに南の山脈なんですよね。

 

プラーナによってはパーリヤートラ山脈は須弥山の西にあることになってるので、はるか西北の神話的山脈の扱いかもしれませんが、どちらにしろ実際の地名への比定は到底不可能ですね。

 

徒多河は「薩梨」「避魔」「捺地」「電光」が挙げられていますが、こっちは実際のモデルがあるかすら怪しいですね。

 

この無熱悩池と四大河説ですが、中国では『大唐西域記』の説が広く受け入れられました。というのも『水経注』で黄河源流とされている積石山が記載されているため、ここを結節点として、中国の古代地理世界と須弥山世界をドッキングさせることができるためです。

 

ここにマテオ・リッチ以降に入ってきた西洋世界の坤輿図が加わって、清代に仏教+中華地理+西洋地理を全部乗せした「南贍部洲図」と呼ばれるデラックス世界地図が大量に作られるのですが、それはまた別の話。