以下、諸山の山林の個別解説です。
閻浮樹(えんぶじゅ)
贍部(閻浮)樹(Jambu 和名ムラサキフトモモ)は、『倶舎論』に記載がないので忘れ去られがちですが、南贍部洲の北辺にある洲の象徴ともいえる大樹です。(『倶舎論頌疏』では南贍部洲の南辺にあると注していますが、根拠不明です。)とにかく大きく育つので、その貫禄からシンボル的存在になったのでしょう。
アーガマ系では、この閻浮樹が南贍部洲と日月との間をさえぎって影になることで月の満ち欠けが起こると説明しています。ただ高さ42,000由旬を回る月と高さ100由旬の閻浮樹では遠近法考慮しても見る際の仰角が違いすぎるので、無理ある説明ですね。まあ月すら覆い隠す世界樹という象徴的意味は分かるのですが、寸法はもう少し考慮してデザインしてほしいところで。
『施設論』では閻浮樹の樹液がボタボタ落ちて大海に流れ込むのに、なぜ大海はあふれないのかと問うています。別に閻浮樹は大量の樹液など出さないのですが、熱帯のスコールを浴びた閻浮樹の大木は枝葉から滝のように雨水が垂れてなかなか壮観だったでしょうから、その情景からの想像でしょうか。
『立世論』では洲の北辺中央にあり、樹の周りは内側に訶梨勒林、外側に阿摩羅林という二層の園林が半月上に覆っているとのこと。アーガマ系はもっと複雑で樹の周りに一辺50由旬の園林がわらわらと囲っていて、『起世経』『起世因本経』は30個、『大楼炭経』は35個、『世記経』は37個の園林名を並べています。そして一辺50由旬の各種蓮華池もあるけど、池の中は毒蛇で満ちているとのおっかない記述も。
アーガマ系の閻浮樹のもう一つの特徴として園林の南が「烏禅那伽海」と呼ばれる海で隔てられていることです。南贍部洲の中に内海があるのか、閻浮樹と園林が洲とは独立の島になっているのかよく分かりません。ただおそらく音写から『マハーバーラタ』にも登場するウッジャーナカ(Ujjānaka)を指していると思われます。ここは沐浴所(tirtha)として言及されているので、航海して渡るような海というより、池・湖をイメージしているかもしれません。中国で作られた『法界安立図』は西域に伸びている瀚海(ゴビ砂漠)が烏禅那伽海になっているような図になっています。なるほど、この説明はうまい。
この烏禅那伽海ですが、南贍部洲に転輪聖王が現れると、海上に広さ12由旬の道ができて閻浮樹に渡れるようになるそうです。転輪聖王(Cakravartin)の説明は省きますが、仏法を奉じて南贍部洲はおろか他の三洲も征服し三十三天までも攻め上るという伝説的征服王です。ただ、道ができて渡れるようになって何の意味があるのか分かりません。古墳時代の国見の丘みたいに、洲のシンボルたる閻浮樹には洲の支配者だけが立ち入れるということなのか。なんだったら閻浮樹がワープポイントになって他洲の大樹とつながってるとか……まさかね。
樹自体の大きさは他の洲の大樹と同じで、その実は二斛の器のように大きく、蜂蜜のように甘味でだそうです。『立世論』では南贍部洲の北辺の中央部にあり、北側の実は泥民陀羅河(七海の一つの魚嘴海でしょう)に落ちて魚の餌となるけれど、他の三方に落ちた実は拾うことができ、頂上付近の実は樹の上には住んでいる巨大な鳥と猿が食べるそうです。樹の根元は雨でもぬかるむことがなく、夏も冬も快適なため、ガンダルヴァや夜叉が樹下にいるそうです。
『世記経』では北側の実は禽獣が、東側の実はガンダルヴァが、西側の実は虫が、南側の実は人間たちが食べ、頂上付近の実は星宿天が食べるというしています。ただ、この説明での閻浮樹はずっと南の七黒山の近くにあることになっており、『世記経』の中でも矛盾がある記述になっています。
おそらく、四方の有情を養う母なる閻浮樹という原神話があったけど、南贍部洲の山河の位置関係を整理する中で洲の北辺に移動させられ、話が合わなくなった。でも経典の別の個所に原神話が残存していた、というところかなと思います。『立世論』はそのあたり整理して、海辺だから北側の実は海に落ちるけどちゃんと魚介類を養ってるよという説明を作ったのかと。『瑜伽論』は無熱悩池の南に閻浮樹があるとしているので、これも名残かもしれません。
個人的には星宿天が空を巡るたびに世界樹の実を食べてるという神話はすごく好きですけどねえ。
『倶舎論』『順正理論』では無熱悩池の側に閻浮樹の林があって樹は巨大で実は甘いとあるので、『世紀経』の閻浮樹の位置とかなり近いと思われますが、同系統かどうかはよく分からないです。いずれにしても世界樹がいくつもあっては困るので、雪山中に閻浮樹があるなら、洲の北辺にはないということにしないと整理がつかないですね。
ちなみに閻浮樹の下は「閻浮檀金」(えんぶだごん jambūnada-suvarṇa)なる砂金で埋め尽くされているそうで、『立世論』では樹の根元を覆っていると、『起世経』では高さ20由旬、『世記経』では高さ30由旬の金の山があると、『大智度論』では傍を流れる河底にあると記述は違いますが金が採り放題なことは共通です。こうなると神樹ではなく、山師のエルドラドになってしまうのでちょっといただけないです。
『正法念経』では洲の内部ではなく、洲の東にある「赤宝水」なる海のほとりに高さ90由旬の閻浮樹があり、金剛の嘴を持つガルーダの王が樹の上にいるそうです。
香酔山(こうすいせん)
『倶舎論』ほかアビダルマ系の世界では無熱悩池の北にあるのが香酔山(Gandha-mādana)です。それより北は記載がないので、『倶舎論』では洲最北の山になります。梵語の直訳なら「香酔山」でいいはずですが、「香山」「香積山」と書かれることもあります。
香酔山については『起世経』が一番詳しい記述があり、山名のとおり種々の香木の香りで満たされ、無数の緊那羅が奏でるBGMが響いているそう。一辺50由旬の「雑色」「善雑色」という二つの洞窟があり、「無比喩」というガンダルヴァの王が500人の緊那羅女(Kiṃnarī)と遊び暮らしているそうです。『大樹緊那羅王所問経』には、山に無数の緊那羅・ガンダルヴァ・摩睺羅伽・神々がいることになってますが、さすがに欲張りすぎですね。天界が空になってしまう。
『六度集経』には香酔山に住む伝説の天女を手に入れようとする過去世の物語があるほか、南伝『本生経』の過去世にも仙人が暮らしていた場所としてたびたび香酔山が登場するので、仙人の山という位置づけなのでしょう。
また『起世経』『大楼炭経』に別の記載があり、洞窟の北には「善住」という幹周10丈9尺の娑羅(śāla いわゆる沙羅双樹)の大樹があり(『瑜伽論』では香酔山ではなく、雪山近くの「非天脅」なる金崖のところに生えているとか)、樹の下に同名の白い大象がいる。で、周りに8千の幹周4丈9尺~11丈2尺の娑羅樹があって8千の白象がおり、林の北にある一辺50由旬の「曼陀吉尼」なる池で水浴しているそうです。ちなみに、この園林の落葉は風が吹き飛ばし、象の排泄物は鬼神が片付けてくれるので常に清潔で香りを邪魔しないとのこと。なるほど、古代インドでも戦象を多数まとめて飼育することが多かったでしょうけど、いろいろ悩みはあるのですね。
ひとたび南贍部洲に転輪聖王が現れるとこの象たちは聖王の命に従い、一番小さな象に聖王が乗り、善住象王にはインドラ神が乗るそうです。象たちは空も飛べるそうなのでこれで諸洲を調伏するようです。(ダンボのように耳で空を飛ぶのか不明です。)
『増一阿含経』でも8万4千の洞窟に8万4千の白象がいて同じように聖王に従うとの記述があります。
いらん世話と言われるかもしれませんが、象たちの物語はちょっと物悲しく感じますね。彼らは転輪聖王が降誕した時に備えて北の彼方の山中で待機しているわけですが、仏教がクシャトリヤに支持され、仏法を奉じる征服王という幻想が抱けたのは古い時代で、『倶舎論』の著述時期には既にインドにはヒンドゥー教国家になりつつありました。転輪聖王が現れる見込みもなく、『倶舎論』は香酔山について何も語らず位置のみ記載しています。もちろん以後の時代の経典でも言及されません。インドラ神と転輪聖王が乗り、世界を天翔けるはずだった象たちはどこに消えたのでしょう。
