北倶盧洲・東勝身洲・西牛貨洲の3洲を概説しましたが、例によって関連での余談です。あまり知識にはならないので期待されず。
北倶盧洲(Uttara-kuru)と東勝身洲(Pūrva-videha)は、はるか海の彼方にある地ということになってますが、明らかにインドの実在の地名がモデルです。
仏典の地理観には「中天竺(Madhya-deśa)」というのがあって、古代のガンジス文明中心地、ひいては仏法の中心地のことを指しています。範囲がどこかはなかなか難しいみたいですが、おおむね上の地図で言うとコーサラ、カーシー、マガダ、パンチャーラのあたりが当たるようです。
でこれに対して外側の地が「辺地(Pratyanta-janapada)」です。見て分かる通り中天竺のすぐ東の辺地がヴィデーハ、北の辺地にあるのがクル、モデルとかいう次元じゃなく東勝身洲・北倶盧洲と全く同じ名前の国があります。本来であれば歩いて行ける地続きの国のはずですが、どういうわけか「須弥山世界のインフレーション」のような現象が起こって、はるかはるか遠くに飛ばされてしまった上、数ある国々の一つだったはずなのに贍部洲と同等の大洲に相転移してしまったということになりますね。
西牛貨洲については正直分かりません。中天竺の西は大インド砂漠と呼ばれる荒涼の地でGodānīyaに相当する地名のモデルは見出されていないようです。(海を越えた中近東諸国とも考えられますが、やっぱりモデルは分かりません。)
インフレーションの後、三洲が南贍部洲より優れた洲として位置づけられたのは不思議な点です。何せ仏典はなかなか中華思想丸出しで、『出曜経』では「仏は中国に生まれる。辺地にはいない。」とか、あまつさえ「地獄・餓鬼・畜生・辺地・夷狄に生まれるのを悪趣という。」と地獄と同等扱いまでしています。そんな悪趣がモデルの三洲が中天竺より優れているはずはないのですが。
ヴィデーハ国は、前にも書いたとおり衆議によって統治される共和制国家として名高かったので、原始共産主義への憧憬で楽園扱いされたのかもしれませんし、クル国はヴェーダ時代の文明の揺籃となった地なので、過去の幻想に加え、ギリシャ神話のヒュペルボレイアと似た「極北の楽園」観があったのかもしれません。いずれにせよ、西牛貨洲はおいて、二つの実在の国は海の彼方の楽園の地となりました。
もう少しこの話には続きがあり、大洲に付属する中洲の話です。『世紀経』『立世論』には四大洲に付属する中洲は記載されておらず、その代わり雪山の北に六大国(七大国)と呼ばれる国々があることになってます。それぞれ名前が「鳩留」「高臘鞞」「毘提訶」「摩訶毘提訶」「欝多羅曼陀」「沙熙摩羅野」(『世紀経』では「沙熙摩羅野」の代わりに「婆羅」「婆梨」)となってます。
見てのとおり明らかに四大洲の名前とかぶってます。つまり『世紀経』『立世論』の世界では北の海の彼方と南贍部洲の中にクルという地があり、東の海の彼方と南贍部洲の中の両方にヴィデーハという地があるということになります。
もっとよく見ると『倶舎論』などのアビダルマ系の中洲の名前とも相当一致してます。1つ目・2つ目のKuru・Kauravaは北倶盧洲の中洲そのまま、3つ目・4つ目のVideha・Māhā-videhaは東勝身洲の中洲の名とはちょっと違いますが、既に大洲にVidehaが使われている以上、中洲の名に「大いなるVideha」を使うわけにはいかないので、乱暴に先頭のviをちょん切ってDehaとVidehaという優劣をつけた2洲にしたと考えれば発想は一致します。5つ目のUttara-mantrinも西牛貨洲の中洲そのまま、6つ目(と7つ目)だけは一致せずよく分かりませんが。
偶然の一致とは思えません。雪山の向こうに辺地の国々を集めて一度は六(七)大国を作ったけれど、アビダルマ世界観を整理する中で南贍部洲の中にあることが許されず、「第二のインフレーション」により海の向こうに飛ばされた。ただし既に大洲が作られているため、大洲に付属する中洲に相転移させたという操作が明らかに行われています。ただそもそも「第一のインフレーション」で飛ばした国と六(七)大国に寄せた国が同じような辺地の国だったので、2回のインフレーションによって大洲と中洲がほぼ同じような名前になってしまうという妙なことになっているわけです。
じゃあなんでわざわざこんな世界の組み換えをしたのかは、もちろんはっきりとは分かりません。ただ、ヒンドゥー教ではこんなことはしてません。贍部洲はヒマラヤを初めとする山脈でいくつかのヴァルシャ(varṣa)に区切られていて、インド人が住む「バーラタの地」(Bhārata-varṣa)のほか、ヒマラヤ山脈方面の「雪の地」(Hima-varṣa)、山の彼方の「清浄の地」(Hari-varṣa)などがあり、バーラタの地より優れた地であることが示唆されています。
仏教がこの世界観を許さなかったというのは、憶測ですが「仏国土=天竺の優位性」を守りたかったのではないかと。つまり仏陀が生まれ、仏法の教化を受けた国土である天竺は贍部洲で最も優れた場所でなければならない。仏もいないのに天竺より優れた楽園などあってはならない、もし存在させるとすれば贍部洲の外の彼方でなければ許されない。そんな価値観が神話的世界観とぶつかり合った末に2回のインフレーションという仏教独特の不思議な操作が行われたのではないかと。
ちょっとまとめましょう。まず中天竺の人々が自分たちの周りの辺地のクルとヴィデーハ(そしてゴーダーニャ?)を楽園視した。しかし仏国土の傍にあるのはよろしくないので、海の彼方の洲ということにした。これが第一のインフレーション。
これとは別に辺地の楽園を集めてヒマラヤの奥地にあることにした。ただこれも贍部洲の陸続きにあるのが問題視され、既に飛ばした大洲に付属する中洲として海の彼方に飛ばすことにした。これが第二のインフレーション。
まあこの仮説が正しいかどうかは分かりませんし、こんな細かいことを検証する人も他にいないと思うので、一つの余談としてとらえていただければ。
ちなみに仏教では「地域世界」としてヴァルシャの語は使われません。ヴァルシャは原義である「雨安居」の意味で使われます。経典の冒頭で「お釈迦さんが祇園精舎でヴァルシャを過ごしていると、一人の弟子がやってきてこう問いかけました…」といった使われ方です。代わりに仏の教化の範囲内にある南贍部洲もひっくるめた世界として、「国土」(kṣetra)という語を使います。
