日月についてもう少し、太陽の運行についてです。

 

日輪は、須弥山の周りを円軌道を描きながら時計回りに1日1周してるわけですが、季節によって周回する位置がずれることになってます。

 

この点について『立世論』が最も詳しく説明してるので内容を整理して書くと、太陽の通り道(仮に「黄道」と呼びます。天文学上の用語と重なるけどここでの便宜的用語で。)は、直径481,090由旬の円で、黄道より少し大きい481,380由旬の円の中で季節に寄って上下左右にずれます。

南贍部洲の季節でいうと、こんな感じです。

 

見てのとおり、南贍部洲の冬至の際に最も南側を通り、夏至の際に最も北側を通ることになります。他の三洲も同じ考えで、一洲が春の時は他の三洲はそれぞれ夏・秋・冬ということになります。『立世論』では四大洲より内側(須弥山側)の範囲で黄道が移動するけれど、『倶舎論』では南北にまたいで移動するのは先に書いた通りです。

 

ちなみに、『立世論』ではなぜか南贍部洲・北倶盧洲は洲から黄道の距離が60~350由旬ですが東勝身州・西牛貨洲は393.33~683.33由旬で、南北と東西で寸法が違っています。これは

・黄道が南北にやや長い楕円軌道になっている。

・東西洲は南北洲より須弥山からの距離が少し遠い。

のどちらかであるはずですが、どちらであっても四大洲の対称性を損ねるので、なぜこんな記述にしているのが謎です。

 

で、まあ突っ込みどころは多すぎです。夏は太陽が北側にずれ昼が長くなる。冬は太陽が南側にずれ夜が長くなる、というのは天体現象のとおりなんですが、太陽が地平線の下に沈むという現象があるからこそ成り立つはず。(北半球だと太陽が南に寄っているから、北にずれてきた方が天球の真ん中を通り日も高くなるし長くなる。理科の復習で申し訳ないですが。)太陽が頭上をぐるぐる回ってるだけなら、どう考えても南側にずれてきた方が、南贍部洲の近くを通る時間が長くなり昼も長くなるはずです。

 

ついでに言えば、黄道が南北だけでなく東西にも移動するなら、南中時刻が春は正午より遅く、秋は正午より早くなくてはいけませんが、言うまでもなく現実世界の南中時刻は年間でほぼ変わりません。

 

天文学知識を中途半端に入れて完全に破綻した世界を作ってしまっています。

 

ちなみに『倶舎論』『順正理論』によれば、昼の長さは日ごとに1臘縛(1日の1/900)、すなわち1.6分ずつ長く/短くなるとのことです。この記載は実はアビダルマのオリジナルではなく、もっと古い時期の『摩登伽経』という占星術系の経典の記載と一致しており、1日1/900ずつ昼夜が変動した結果、冬至/夏至は昼:夜の割合がそれぞれ0.4:0.6/0.6:0.4になります。(1年を360日で計算しているのはご愛敬)

言い換えると、夏至は昼の長さが14時間24分、夜の長さが9時間36分となり、冬至はその逆ということです。

 

ところで研究者の中で議論になってるそうですが、昼夜の差がこの時間になるのはおおむね北緯35度の地点となり、インドの緯度とかなり合わないそうです。(南贍部洲の中心とされるブッダガヤの金剛座は北緯24.6度)ただ『倶舎論』の時代は、アビダルマの中心は愛の国ガンダーラに移っており、インドよりかなり北の方なので、実は結果オッケーなのです。(『倶舎論』の作者世親の生まれた富婁沙富羅は北緯34度、ガンダーラの中心地の徳叉尸羅は北緯33.5度)

 

『摩登伽経』がなぜこんな昼夜の差を長くしたのかは謎ですが、アビダルマの学僧は「うん。現実と合っている」と思いながら、安心して引用したことでしょう。問題はその昼夜の長さを反映する天体の動きを全く構築できていないところで。

 

月と星の運行については、ほとんど記述がありません。唯一『立世論』では太陽と月が同じ円周範囲を回っているとの記述があるので、まあ太陽のすぐ近くでぶつからないように適当に回っているのでしょう。

 

『倶舎論光記』には多少詳しく記述があり、太陽と月は運行速度が違い、太陽は早く月は遅いため距離が離れたり近づいたりする。月の光明は太陽より劣るため太陽に近づくと月の光明はかき消され影になってしまい、最も近づいた時には光明が全て奪われて晦日となるとのことです。

 

これを実際の天文現象に当てはめると、月は天球上を太陽より少し遅く動いていて1日約48分(30臘縛)ずつ遅れていきます。太陽は900臘縛で黄道を一周するけど、月は930臘縛で一周する。で30日に1回太陽が周回遅れの月を追い越していくという計算にすれば説明が合います。

 

星も同じく考えると、星は逆に太陽より1日3分56秒ずつ早く天球を動いています。同じくあてはめると1日おおむね897.5臘縛で須弥山を回っていることになるでしょうか。

 

完全な余談ですが、日月星宿は止まっていて大地の方が回っているのではないかという考え方は昔からあったようです。『立正論』はそういう主張をする外道には、もし大地が動いているなら、物を上に投げたら同じ場所に落ちてこないはずではないかと論破しろと言っています。すいません、残念ながら外道の方が正しいですよ…