九山八海の中でも世界の中心にあって、世界軸になっているのが須弥山(Sumeru-giri)です。

おおむね図にするとこんな感じ。

縦・横・高さ各80,000由旬(640,000km)の立方体の形をしています。海の下も80,000由旬あるので、見えない部分も合わせると高さ160,000由旬(1,280,000km)の直方体になります。ちなみにアーガマ系経典は1辺を84,000由旬にしてますが、アビダルマ系の80,000由旬がスタンダードになってますね。

 

ちなみに形状については異説も多少あり…

・四角錐台?

『婆沙論』『順正理論』では、須弥山の一辺が80,000由旬と書く一方で三十三天の説明で須弥山頂上は一辺20,000由旬と書いてしまっています。だとすると、須弥山は立方体ではなくて底面が一辺80,000由旬で頂面が一辺20,000由旬の四角錐台ということになります。また、『倶舎論光記』では、須弥山の形は「鼓(つづみ)の如し」、すなわち中央がくびれて狭くなった砂時計型だと主張しています。これについてどう解釈するか、「②九山八海(須弥山:余談)」の方で改めて書いたので、そちらもご覧いただければ。

ひとまず『倶舎釈論』が「須弥山の頂上は一辺80,000由旬だが、その中央部一辺20,000由旬の場所が最もすぐれており、そこが三十三天なのだ。」という説明があるので、立方体型であることに問題はないと思われます。

 

・逆四角錐台?

アーガマ系経典では、須弥山は下が狭く上が広い、逆四角錐台になっているという記述になっています。おそらく頂上がインドラ神はじめとする諸神がおわす三十三天なので、そこに向かって大きくなっていくというイメージでいったと思うんですが、どのくらいの下が細くなっているのが具体的寸法が分からない。

ただ分からないままではつまらないので、『増一阿含経』の手がかりにちょっと計算してみます。他のアーガマ系の記述と七金山の名前や寸法が全く違うので本来比較しちゃいけないんですが、アーガマ時代の仏僧の脳内イメージをうかがう参考ということで。

『増一阿含経』の須弥山は高さ、頂面の一辺ともに84,000由旬とした上で、須弥山の外側を一辺84,000里(5,250由旬)で高さが80,000里(5,000由旬)の大鉄囲山(この名前の山は必ず円輪形です。)という頂面よりかなり小さい山が囲っていることになってます。これだと下部はかなり狭くなっていなければならない。具体的に言うと、海抜5,000由旬の地点で須弥山中心から角までのは長さ5,250由旬未満でなければならない。でないと外側の山につっかえますので。とするとこの地点での須弥山の一辺は5,250由旬×√2=約7,424.62由旬未満ということになります。でこの角度でそのまま下げていくと海抜0m地点の幅は2,578由旬未満ということになります。上辺84,000で下辺2,578はかなり細い。もうほぼ錐台でなく逆さにした四面体ですね。不安定きわまりない。三十三天で皆がジャンプしたらボキっと折れて倒れそうです。

いずれにせよ、見栄えが悪いせいか普及せず、アビダルマの立方体にサクッと取って代わられました。

 

とまあいろいろありますが、『立世論』の説明にある「工匠が墨縄で測って切り出した材木のように真っすぐなのだ」という記述を信じるのがいいでしょう。

つまり、人工物のような直線で形成された巨大な立方体モノリス、それが須弥山世界の世界軸ということですね。

 

ちなみに凡俗の衆生が住む南贍部洲から、須弥山がどのくらいの大きさに見えるか、興味本位で見かけの大きさを計算してみましょうか。

南贍部洲が鹹海のど真ん中にあると仮定すると『倶舎論』の寸法で須弥山の縁から南贍部洲の中心まで399,125由旬。で須弥山の下面と同じ目線から上に80,000由旬仰角にそびえているので、見かけの大きさはtan(80,000/399,125)で約11度になります。11度というと、まっすぐ前に突き出した握り拳と同じくらい。

これが大きいか小さいかは感じ方次第ですが、個人的にはこれ知ったら古代の仏僧たちはかなりがっかりするだろうなと。仏教世界観の基礎には、北方の空を覆い尽くすヒマラヤ山脈があり、ヒマラヤの向こうの山はさらに巨大になり、最終的に世界の中心であり神々の住みかたる大いなる須弥山があるというイメージを作り上げたわけなので、その須弥山が握り拳程度の大きさとなると、正直台無しですな。間に七金山とか入れて距離を遠くしすぎたのが全てです。