器世間世界の一番下にある大地四輪のそれぞれについて解説していきます。
空輪(Ākāśa-mandala)
要するに何もない虚空なのですが、経典の器世間図ではたいてい風輪の下に位置づけられています。
アビダルマではなく大乗経典になりますが『法華経』ではこの娑婆世界の下に虚空があって多数の菩薩がいるという描写があります。
やっぱり虚空は下なんです。
器世間は虚空に浮かぶように風輪・水輪・金輪の順に生まれていったことになっているので、器世間の上も横も下も全部虚空のはずなんですが。
思うに地上の上方向が中空なのは「見れば分かる」ので語る必要はない。
で、仏教は基本的に多元宇宙論なので、経典によって描写は違うもののこの世界の周りには無数の仏国土が広がっているというのが共通認識で、水平方向の端っこも考える必要がない。「世界を支えるもの」という意味での虚空が大事なんでしょうね。
ちなみに、後に密教が興ると、虚空は「時空を超越しているがゆえに時空の全てを内包している」という「虚空蔵」の思想が生まれました。
密教の直系の子孫ではないですが、スピ系ではおなじみの「アカシックレコード」も発想としては類似でしょう。
本来の器世間論ではほとんど言及のない空輪ですが、菩薩が隠れていたり無限の知識があったり、意外とポテンシャルがありそうです。
風輪(Vāyu-mandala)
『倶舎論』では、虚空にまず有情たちの増上力(sattva karman)により風輪が生まれたことになっています。
後世の密教系ですが『首楞厳義疏注経』だと、虚空では刹那のうちに細かい明昧・動静・生滅つまり「ゆらぎ」が起きつづけている。このゆらぎから増上力によるトンネル効果で無から有ができるように風輪が生まれてきたと。
有情は全ての意志ある存在、増上力は行為が間接の原因となる力。
つまり、生き物たちが「自分たちの住み場所を作ろう」という意思を持った結果、それが間接的な力として働いて世界ができたという、なかなか面白いです。
これに対して『立世論』では、この宇宙に毘嵐婆(vairambhaka)という風が吹き続けて上下左右の風力が釣り合ったところの風が固まって風輪ができたとのこと。
『倶舎論』では、風輪はとても固い。インドラ神がヴァジュラで打ってもヴァジュラが逆に壊れるとあります。
「風」というからにはふわふわしてそうだけど世界を一番下でしっかり支える宇宙盤ですからしっかりしてるんですよ。グラグラ動いたり転覆したりしませんよということなのでしょう。
ただし『長阿含経』では、大風が吹いて風輪が動くと、水輪と金輪も積み上げた皿のようにグラグラ動いて地震が起こるとあります。
案外安定感ないようです風輪。
『彰所知論』では色は青白いとあります。根拠はよく分かりませんが、空の色からの連想でしょうか。だとすれば、固体にレイリー散乱は起こらないことを誰か教えてあげねば。
四大種の中で『倶舎論』による風の性質は、増大させること(tvṛddhi)と動かすこと(prasarpaṇa)。最初に風ができたことで他の部分を作り出す力が生まれたことになります。
水輪(Jala-mandala)
風輪ができた後、またも増上力が作用して雲が起こり雨が降り水輪ができたということです。
『立正論』では波利質多羅(Paricitra)境水なる特殊な香水でできているとされています。「波利質多羅」は俗に「デイゴ」と言われる南洋ではありふれた樹木で、日本でも島唄を風に乗せて届けてくれたりしますが、仏法では天上の特別な花とされていて、その性質を持っているということは地上とは全く違う水でできているようです。
で、有情たちの業(karma)の力により液体だけど円柱状に保たれていると。
ということは、逆に上に住んでる有情たちが悪の限りを尽くしてカルマの力が途絶えたら水輪は溶けだすんでしょうか…考えちゃいけないですね。
水輪は、地上の海底とつながってそうな感じがしますが、実は完全に分かれてます。
上の金輪の高さは32万由旬、金輪の海の深さは8万由旬なので、水輪にたどり着こうと思ったら、海底から24万由旬(192万km)掘削する必要があります。
2021年に日本の探査船が海底掘削した記録は8km。現代技術をもってしてもあと191万9992km足りません。
つまり地上の有情たちを囲む海と下の水輪は全く別物ということです。
奇跡的に掘削ができて水輪との境目にたどりついたとしたら、そこが「金輪際」です。
金輪際は、有情世間がそこで終わり器世間が始まる、世界の果てという意味でもあります。
その下はただ世界を支える元素物質があるだけ。
そこから察する限り、水輪は水はあってもそこに住む生き物は全くいないようです。
せっかくこんなに壮大な水の世界があるんだからナーガとかアスラとかいろいろいてほしいんですけどねえ…
金輪(Kāñcana-mandala)
水輪ができた後、また風が吹いてかき回した結果、その上部にホットミルクの表面にラムスデン現象の膜が張るように固体分が凝縮して金輪ができるとのこと。
金輪の材質は文字通り金属のように思えますが、『仏祖統紀』所引『光明経』では18万由旬の深さまでは土で、その下(『倶舎論』のサイズに従うなら14万由旬)が金沙でできているそうです。
また『立正論』では下層16万由旬が真金で、その上は金銀銅鉄等の雑多なものでてきているとのこと。
意外と金輪は「土」のようです。
なんだか随分高い盛土なので、端っこの法面が崩れて崩落しそうですが、そこは金輪の一番外側が鉄囲山という鉄製の山でできていてこぼれないようになっているので大丈夫。
鉄製の丸い植木鉢の中に入った土状態でしょうか。
『婆沙論』『彰所知論』『順正理論』などで語られるところでは、金輪ができるとまず大雨が降って、地上は8万由旬の深さの海で覆われたそうです。
次に猛風の作用により海水から物質が分かれて、精妙な物質が須弥山を形成し、中くらいの物質が七金山を形成し内部の海も八功徳水になり、下の物質が鉄囲山を形成し、残りの雑多な物質で四大洲が形成され、周りの海もミネラルで塩辛くなったと。
つまり地表の物質は全て水から変成して生まれたということで、水は多くの可能態を持っているため「種々の威徳」によっていろいろな物質に変わりうるそうです。古代ギリシアのタレスが聞いたら喜びそうな説ですな。
『瑜伽論』の具体的な描写だと、風が海の水を叩いて固体にして、さらに風の力で8万由旬まで引き上げて須弥山にしたそうです。造山や海洋のメンテナンスは風元素の力に頼るしかないようです。まあプレートテクトニクス論が発見されるつい最近までは、ヒマラヤ山脈がなぜできたのか西洋科学でも説明できなかったわけですし。
四大種の相乗効果によって世界が作られたという発想は、『首楞厳義疏注経』でもさらに詳しく語られていて、水が火より勝っている部分は海洲になるけど、火の方が勝っていると山石になり、地が勝っていると草木になるなどだけど、いろいろ書いてます。