昔の人は万有引力の法則など知りませんでしたから

世界の根本的な疑問は「この大地はなぜ下に落ちないのか。何に支えられているのか。」だったでしょう。

仏教におけるその答えが

『長阿含経』にある「夫れ地は水上にあり、水は風において止まる、風は空において止まる」という説明

世界を構成する基礎元素によりうまいこと支えられているという考え方です。

 

さらにアビダルマは理論を整理して

器世間世界を「大地四輪」という輪(mandara)がパンケーキ上に積み重なって

この宇宙を支えていることになっています。

下から

・空輪(Ākāśa-mandala)

・風輪(Vāyu-mandala)

・水輪(Jala-mandala)

・金輪(Kāñcana-mandala)

になります。

まあ、スマートな構造ですが、この幾何学図形が無駄に細かくてしかも経典によってわりとまちまちです。

幸い、アビダルマ世界観は『倶舎論』が一番の権威で、他経も大半がこれに拠ってるので

『倶舎論』の下記のサイズが通説ですと落ちつけられるのが便利なところ。

風輪:直径無数

   高さ160万由旬(1280万km)

水輪:直径120万3450由旬(962万7600km)

   高さ80万由旬(640万km)

金輪:直径120万3450由旬(962万7600km)

   高さ32万由旬(256万km)

つまり風輪という無限の広さで分厚い「宇宙盤」が一番下で宇宙を支えていて

その上に同じ横幅の水輪と金輪が縦に重なって一本の円柱として立っている絵ですね。

 

で、参考の異説として紹介しておくと

『立世論』だとちょっとサイズが違っていて

・風輪:直径120万3450由旬(962万7600km)

    高さ96万由旬(768万km)

・水輪:直径120万3450由旬(962万7600km)

    高さ48万由旬(384万km)

・金輪:直径120万3450由旬(962万7600km)

    高さ24万由旬(192万km)

つまり三輪とも皆横幅が同じで色違いの一本の円柱になっている絵です。

個人的にこの構造は怖いです。金輪の端っこから下に落ちてしまうと受け止めるものが何もありません。

虚空の中をどこまでもどこまでも落ちていくことになる。ちょっと宇宙的恐怖です。

 

さらに初期仏教のアーガマ経典だとちょっと構造が違って

『起世経』『起世因本経』

・風輪:円周無量 高さ36万由旬(288万km)

・水輪:円周無量 高さ60万由旬(480万km)

・金輪:円周無量 高さ48万由旬(384万km)

『大楼炭経』

・風輪:円周無量 高さ230万由旬(1840万km)

・水輪:円周無量 高さ460万由旬(3680万km)

・金輪:円周無量 高さ680万由旬(5440万km)

『世紀経』

・風輪:円周無量 高さ6040由旬(4万8320km)

・水輪:円周無量 高さ3030由旬(2万4240km)

・金輪:円周無量 高さ16万8000由旬(134万4000km)

というふうに無限の広さの三輪がウエハースみたいに重なってる絵になります。

これだとそもそも下に落ちることがなくて安心です。

『世紀経』の風輪と水輪の異様な薄っぺらさが好きです。金輪の底面に張り付いてるほぼ「膜」ですね。

 

ちなみに自分は『増一阿含経』のマイナーな説が好きです。

・地輪:縦2万1000由旬(16万8000km)×横7000由旬(5万6000km) 高さ 6万8000由旬(54万4000km)

・風輪:縦2万1000由旬(16万8000km)×横7000由旬(5万6000km) 高さ 8万4000由旬(67万2000km)

・水輪:縦2万1000由旬(16万8000km)×横7000由旬(5万6000km) 高さ 8万4000由旬(67万2000km)

・金輪:縦2万1000由旬(16万8000km)×横7000由旬(5万6000km) 高さ 6万8000由旬(54万4000km)

・金綱輪:大きさ不明

須弥山やら周りの海のことは一切語らず、贍部洲の大きさとその下の深さだけを語っているため

図にするとやたら細長い不自然な形となり

後に丸型の須弥山世界が整理されると完全に忘れ去られる説なのですが

「火輪」を入れているのがいいです。

アビダルマの学者たちも本心言えば地水火風の四元素を世界軸に据えたかったんでしょうけど

固体・液体・気体の三相までは説明がついても、火(プラズマ相)が世界を支えるのは

さすがに無理だろうと断念したと思われますが、この経典はちゃんと入れてます。

素晴らしい。

じゃあ、超不安定なプラズマがどうやって重い大地を支えられていると考えていたのか

『増一阿含経』の作者にぜひ聞いてみたいです。

 

で『倶舎論』に戻って、人間世界がある金輪のてっぺんから風輪の底まで1,344万km。

おおむね太陽の直径と同じくらいですね。自らの重力でつぶれないのかとか余計なことを考えてはいけない。

 

そして空輪はこれは輪というより空間そのものです。

『倶舎論』でもまず虚空に風輪を生じるとあって、物質が生まれる前の世界が虚空なのですが

世界ができた後は風輪の下に位置づけられてます。

 

あと風輪の大きさの無数(asaṃkhya 阿僧祇)。

『俱舎論』で大きな数の単位をひたすら書き連ねてるくだりがあって

実は阿僧祇は10の59乗として記載されてるので、正確に言うと無限ではないんです。

ただ、正直有限にしてもちょっと扱うにはでかすぎる。

縦幅の272万由旬は火星探査船が旅する距離よりずっと小さいけど

阿僧祇由旬は天文学における宇宙全体の大きさの1兆×1兆×1兆個分。

(2024年現在で信じられてる観測可能な宇宙:約930億光年=8.8×10の23乗から割り返し。)

ちょっと桁が違いすぎて端があるとかないとか論ずるのが無意味の感があります。

まあ仏の神通力は無限だそうだから、超光速移動や次元ワープでいつかは端っこにたどりつけるかもしれないけど

正直素直に無限と見なした方が理解しやすいでしょう。

納得いかない人は『立世論』の三輪円柱説の方を信じといてください。