なんかヤバい方向に語りが始まりましたが、別にただの素人オタクが大した話はしません。

仏教への信仰心とかじゃなく、純粋にサブカル趣味としての語りですので。

 

1980年代というからはるか昔、マンモスが生息して石の貨幣を転がしてたころですが

『宇宙皇子』という小説がありまして、その第2部「天上編」で仏教の天上世界を旅する話がありました。

その巻頭に必ずついていたのが、仏教の器世間世界を一番上の「色究竟天」から一番下の「風輪」まで描いたイラストでした。

まあ正直言って一目で魅了されました。

絵自体も幻想的だったのですが、空想世界とはわかっていてもこんなに精密に作られた世界があるのかと。

ただ「もっと知りたい!」と思っても調べる術など当時はありませんでした。

 

↑これは『仏祖統紀』の器世間全図。いのまたむつみ氏の図は

もっとずっと幻想的でした。

 

 

やたらと仏教的要素を使うのって、80年代のアニメ・マンガ・サブカルの特徴だったのですが

時は流れ2020年代の今、仏教世界をサブカル的な目に見る人間はおそらく日本全国で片手もいないでしょう。

 

な・の・で、顧みられなかろうがなんだろうが

あえて絶対に誰も語らない仏教世界をあえて今存分に語ろうという究極の自己満足です。

昔と違って今は原典にも容易にあたれる素晴らしい時代ですしね。

 

それでそもそも

仏教世界の分類

器世間(bhājana-loka)は、仏教経典の中の「アビダルマ」と呼ばれる論集の中で盛んに語られた世界観です。

インド仏教も成熟から退廃に向かうころ、僧院にこもったエリート僧侶たちがあらゆるものを分析し始めました。

宇宙の構造から生成消滅、人間の感覚作用の分析から悟りに至るまでの精神境地までそれはまあ、あらゆるものを。

おそろしく精緻で、おそろしく冗長、そしておそろしく無価値です。

天体観測もしない、地学的分析もしない。僧院の壁の中で議論しあって作っただけの世界観なので、

はっきりいえば一ファンタジー小説の世界設定と変わりません。

だから何にも発展することはなく、書を捨て街に出て衆生を救い始めた大乗仏教が興るとあっという間に衰退したのですが、

須弥山を世界軸にする宇宙観の基礎だけは仏教知識の一部として残り続けたというのが経緯です。

 

世界の分類は、経典によってかなりまちまちです。

このブログでは「二世間三界六道」という分類を、便宜的に以下のように整理させてもらってます。

この分類の教学上の正しさについて責任は持てないので悪しからず。

 

・器世間(bhājana-loka)-世界の構造を構成する物質(非情)世界(『大智度論』では国土世間)

・有情世間(sattva-loka)-生きとし生けるものの世界(『大智度論』では仮名世間)

 ・欲界(kāma-dhātu) -地下から六欲天までの煩悩に支配された者たちの世界

  ・天道(deva-gati) -下位の天人たちの世界

   ・十天

  ・阿修羅道(asura-gati) -闘争を繰り返す阿修羅たちの世界

  ・人道(manuṣhya-gati) -人間たちの世界

  ・畜生道(tiryagyoni-gati) -動物たちの卑しい世界

  ・餓鬼道(preta-gati) -飢餓に苛まれ続ける餓鬼たちの世界

  ・地獄道(naraka-gati) -悪しきカルマにより責め苦を受け続ける正解

 ・色界(rūpa-dhātu)

  ・十八天

 ・無色界(ārūpya-dhātu)

  ・四処

(天の数は諸説乱立ですが、ひとまず『法苑珠林』準拠)

 

単位をはっきり

由旬(yojana)

器世間を語る際に必ず出てくるのが長さの単位ですが、直接的に長さが分かる資料がないのでよく分からんようです。

『倶舎論』の長さの単位の換算では

1由旬=8倶盧舎=4,000弓=16,000肘 という計算が示されています。

もし「肘」が古代エジプトのキュビットと同じくおおむね45cmを表すとしたら

1由旬は45cm×16,000=7.2kmということになります。

ただちょっとキリが悪いので

ここでは「スーリヤ・シッダーンタ」という科学書に地球の直径は1600由旬と書いてあるのを根拠に

12,713km÷1,600がほぼ8kmといういうことで1由旬=8kmとして進めます。

これも時々出てきますがよく分からんです。

『大唐西域記』でも諸説あるとして上で、「聖教の載する所」では1由旬=16里としています。

ひとまずこれに従って上の由旬からの換算で1里=500mとしておきます。

諸説あります。はい。

劫(kalpa)

とにかく長い時間を「ただいたずらに」

『雑阿含経』には「壊れない一辺1由旬大石山があって、男が100年に1回綿でさっとこすることを繰り返し、石山が摩耗してなくなってもまだ1劫は経過しない。」とのこと。

はあ、それはそれは1劫というのは長いのですねえ。で、何年?という感じです。

唯一、劫の長さを計算できるのが『仏祖統紀』の記述で、劫初人間の寿命は84,000歳だと。

そして100年ごとに1歳ずつ縮んでいき、劫の真ん中で10歳まで減ると今度は100年ごとに増え始め

84,000歳に戻った時点で1劫になると。

これを計算すると1劫は16,798,000年になるようです。

1平方由旬は6400ha。八王子の高尾山周辺全体を含めた高尾陣場自然公園4,403haよりさらに広いので

1,600万年で磨滅するかは疑問。単なる風化作用では?

いや、これ以上は考えないようにします。

 

まあそんなわけで詳しい語りはまた次回以降。