新元号の「令和」が発表された時、まずは危惧されたように安倍の「安」の字が入っていないことに安堵しました。
しかし、すぐに暗澹たる気持ちになりました。
「令」の字は命令の令。
「和」の字をいかに解釈するか。
まず「和」字を和むと解釈すれば、和むことを命令するとなる。
国が国民を統制し、従順にさせるという意味となる。
和むことを強要する、これはジョージ・オーウェルの「1984年」の「戦争は平和である」を連想させます。

すなわちファシズムです。


さてしも、「和」の文字を大和、すなわち大和という国家、日本というように解釈します。

「令和」すなわち日本の国家に命ずるという一文には主語がありません。

その主語を安倍と解釈すれば、安倍が国家に命ずる、すなわち「法の支配」ならざる人の支配、ファシズムを意味することとなります。

恐らくはその意図があっての新元号であると推測します。


ところが、そうは行かない、話は単純ではありません。

 主語を「国民」と解釈する。

そうすれば、国民が大和、すなわち日本の国家に命令する、これすなわち憲法が国家権力を縛るという立憲主義を意味するものとなるではないですか。

憲法をする安倍政権に対する大きなしっぺ返しになるではないですか。


どうもこのたびの新元号は、空疎であるなとの印象を受けます。

しかし、新たな元号として制定されれば、その空疎さにも新たな意味が注ぎ込まれていきます。

その元号をファシズムの根拠とするか、それとも立憲主義を取り戻す足がかりとするかは、これからの私たちの行動にかかってきます。

新元号は空疎です。

この中に立憲主義の血を通わせようと考えています。