陳舜臣が死去しました。
夕方、今日の新聞の死亡欄を見て知りました。
しばらく紙面に眼が釘付けになり、愕然とするともなく、なんとも妙な脱力感がありました。
陳舜臣は、私にとって、大切な作家でした。

阪神淡路大震災があったときに、真っ先に考えたことは、叔父一家のこととは別に、陳舜臣と朝比奈隆は無事だろうかということでした。
幸いにして、叔父一家も陳舜臣も朝比奈隆も無事でした。

私の思うに、日本語を学ぶ外国人に日本語の小説は何を読んだらいいかと聞かれたら、まず陳舜臣の小説をお薦めするでしょう。
陳舜臣は、非常に読みやすく風格のある文章を書く人です。
陳舜臣は、中国の歴史を扱った小説を多く書く人ですが、その作品は、中国史について知識のない人が読むことを前提として書かれています。
たとえば、日本の小説家が戦国時代を扱ったとき、信長だとか家康だとかを描くとき、ついつい読者が信長だとか家康だとかがどんな人物かを知っていることを前提として書きがちです。
陳舜臣は、中国の歴史を知らない日本人が読むことを前提として書いています。

蛇足ながら、陳舜臣は歴史小説家として知られていますが。、元々はミステリー作家として登場したことを忘れてはいけません。
その発想力が、歴史小説にも発揮されています。
たとえば、「三国志秘史」などがそうです。
多くの人が手垢がつくほど扱ってきた三国志の世界に、陳舜臣のミステリー作家としての発想力が加わって、三国志のマニアほど楽しめる作品になっています。

思えば、陳舜臣の膨大な作品のうちでも、私の読んだことのあるのはごく一部です。
まだまだ楽しみがたくさん残っていると思うと、わくわくします。
でも、本当はもっと長く生きて、もっとたくさんの作品を残して欲しかった。
欲を言えば、ミステリーを書いて欲しかった。
近年、ポツリと書いた、ミステリー作品の「夢ざめの坂」が心に残ったから。
あれなどは、陳舜臣以外には決して書けない世界でありましたから。

司馬遼太郎について言えば、司馬史観などということが言われていましたが、陳舜臣にも陳史観とでも言うべきものがあったと考えます。
それについては、また改めて考えてみたいと思います。