今日は、ケーゲルボックスの三枚目、ベルリオーズの「幻想交響曲」とデッサウの「嵐の海」を聴きました。


ベルリオーズは、第一楽章は、さりげなく始まります。

高域の弦の優美な旋律の下で、低弦が不気味につぶやいています。

恋人の固定楽想が出てきたところで、音楽は動き出します。

そして、主人公の恋慕の気持ちがどんどん燃え上がっていきます。

ここで、情熱が沸騰して狂気にまでいたるところなのですが、この演奏でのケーゲルは、なんだか物足りない。

ケーゲルなら、もっと狂気と恐怖を表現できるはずの人なのに、残念です。

でも、ほかと比べなければ、これでも満足できるはずなのですけど。


第2楽章の同じく、少々物足りないです。

ワルツについていえば、マーラーの第一のレントラー舞曲で見せたような極度の繊細さを期待していたのですが、拍子抜けでした。

そんなわけで、他の男と踊る恋人の姿を見て嫉妬に狂うという場面が少し平板に感じられました。

第1楽章でも、第2楽章でも楽章の終わりでは、結構テンションがあがっているだけに、惜しいと思いました。


でも、第3楽章では様子が変わります。

最初から、神経の通った表現が見られます。

狂わしいばかりに恋心を燃やし続けている主人公が、田園に安らぎを求めている情景です。

意外なことに、ケーゲルが、人を癒すような演奏をしています。

ケーゲルに、猟奇的演奏ばかりを求めるのは一面的だということでしょうか。


そして、第3楽章の「断頭台への行進」第4楽章の「サバトの宴」はケーゲルの面目を見せ付けたということでしょうか。

とうとう恋人を殺してしまった主人公を断頭台に運ぶ場面の恐ろしさも出ているし、サバトでのグロテスクさと楽しさが同居して、明るいだけに怖さを感じる演奏です。


これはこれで、かなり楽しめる演奏ではあるのですが、ケーゲルならもっと激烈で冷酷な凄まじい演奏ができる人なので、これから、どこかの放送局からでも新音源が出てくることを期待しましょうか。


デッサウの「海の嵐」は、後期ロマン派風の作品と思われるので、そんなに聴きにくい作品ではなかったです。

ドビュッシーの「海」と比べてみるのも一興かなとも思います。

同じ海を題材にして、こんなに違うものができてしまうということに。