大晦日には、第九を聴きました。
といってのベートーヴェンのそれではなくて、マーラーの第九です。
盛り上がって終わる年末もいいのですが、独り身の寂しさでしんみりと終わるのもありかなと。
スヴェトラーノフ指揮のスウェーデン放送交響楽団の演奏です。

この組み合わせでは、先日、ブルックナーの交響曲第9番を聴いて、非常に大きな感銘を受けました。
そんなわけで、大いに期待をして聴きました。

マーラーの交響曲第9番には、意外と満足できる演奏が少ないと感じています。
それは、第1楽章はマーラーの作風の到達点とも言うべき、典型的なマーラー様式の楽章です。
ところが、第4楽章は、マーラーの作風では少し異質の、ブルックナーに通じる面があるので、第1楽章が素晴らしくても第4楽章に違和感を感じたり、第4楽章が素晴らしくても、第1楽章が物足りなかったりで、なかなかに難しい面があります。

そんなわけで、スヴェトラーノフの演奏です。

第1楽章は、スヴェトラーノフとしては意外と、抑制の効いた始まりでした。
同じマーラーの大地の歌の、最終楽章を連想させる主題が、ニュアンス豊かに演奏されました。
やがて、この楽章の最初の荒れ場が来るのですが、意外と抑制が効いた表現でした。
スヴェトラーノフだったら、こういった荒れ場では、あられもなく爆演するかと思っていたので意外でした。
この辺が、バーンスタインと比べて、物足りないような気がしなくもありませんでしたが、これはこれで立派な演奏ではありますので。
この楽章全体としては、抑制の効いた、爆演するよりも、各声部に気を配った演奏でした。
このあたりが、スヴェトラーノフとしては意外な演奏でした。

その反面、第2楽章、第3楽章は、いつものスヴェトラーノフです。
豪快でやりすぎ寸前まで、暴れています。
やりすぎにならないところが、最晩年のスヴェトラーノフの芸風といったところでしょうか。

そして第4楽章。
出だしから、ぐっと心をつかまれます。
それもまた、いつものスヴェトラーノフのねっちりねりねりとした歌い方になる寸前まで、弦からえぐい音色を引き出しています。
弦の間から、この楽章では出番の少ない管楽器が出てくるところの表現もニュアンス豊かです。
そして、クライマックスではやはり、いつものスヴェトラーノフの表現を、やり過ぎない、しかし決して物足りなくはない表現を聴かせてくれます。

でも、第4楽章の山場はこれで終わってはいません。
全楽章でもっとも心打たれるのは、この後のコーダの部分です。
本当に名残惜しい、このままいつまでも、終わって欲しくない、そんな気分を強く感じました。

こうして、全曲を聴いてみると、ひとつのことに気がつきました。
この作品の構成は、終楽章をひとつの山場として、第1楽章から第3楽章までがあるということです。
確かに、第1楽章は、マーラーの作品で、もっとも優れた楽章ではあるのですが、ここを強調しすぎると、全体の構成が崩れて、全4楽章の交響曲ではなくて、交響詩が4つ並べてあることになってしまいます。
その点、スヴェトラーノフの演奏は、第4楽章に向けて前三楽章がひとつの方向性をもっていることがわかります。
そんなわけで、欲を言えば、このCDは、第2楽章と第3楽章のあいだで二枚目に代わるのですが、第3楽章と第4楽章とのあいだで盤を変えるようにしてして欲しかったです。
第2楽章と第3楽章とは、一体となっているなと思ったからです。
すなわち、第1楽章から第3楽章まで、盛り上がって、第4楽章でそれを受けるという構造だからと思うからです。

ともあれ、このスヴェトラーノフの演奏には、大きな感銘を受けました。
初めてマーラーの交響曲第9番を聴く人にも、ぜひともお奨めできる演奏です。
録音も、ソ連時代のそれと違って、天地のように良好です。
もっとも、スヴェトラーノフの爆演を期待すると少々裏切られるとも思うのですけど。
これも、晩年の芸風ということで、説得力があります。

いいものを聴きました。