父がわずか60歳でこの世を去ったとき、喪失感が烈しかった。

小学生のときからの受験勉強を強いられたことや、進路について干渉されたことなどで、両親とも摩擦が烈しい親子関係でした。私も実際に親子の縁を切るといった行動に出たこともあります。


ところが父がすい臓がんで後10ヶ月と聞かされると最初は自分には関係ないこととしらを切りとおそうと思ったが、心の底から、父のことを思ってこみ上げてくるものを感じて、何年ぶりかに父母と会おうという気になりました。


父と会ったのは2回だけでした。

最初は広島の新しい家に引っ越してきたときに手伝いの口実で顔を出しました。

特に動きがある再会ではありませんでした。

当たり前の場所に、当たり前に戻ってきただけの話でした。


もう一回は、入院して手術のあとのことです。

手術の状態がよろしくなくて、意識も混濁していた感じでした。

バスがあるから早く行けやとそればかりで、とうとう追い出されてしまい、仕方ないのでそのままや高速バスに乗って長崎に帰りました。


もう一回行こうと思いましたが、なぜだか行く日を翌週に延ばしてしまいました。

そんな時、職場の人と飲んでいると、母から携帯に電話がありました。現在父が集中治療室にいると。

何とか夜行バスを使って広島に行こうと思ったけど、バスが一杯で乗れませんでした。

あきらめて明日朝一番で行くことにして、その日は寝ることにしました。

深夜、妙な空気を感じて目を覚ましてしまいました。

奇妙な雰囲気に浸るまもなく、電話がかかってきました、母でした。「お父さん、さっき、亡くなった」

それからのJR長崎本線、山陽新幹線での旅はどうにも辛いたびでした。

座席に座っていても間が持たない、早く着いてくれと思っても、早く着いたからといって父の死に目に会えるわけでもなし、というわけです。

父の葬式のときは、今思うとパニックになっていたようです。


今日は父の日、せめて墓参りぐらいをしようと思ったけど、今日は出社して交通整理の旗振りの特訓を受けました。日曜日に自分の時間を割いて教えてくださるのは非常にありがたいことです。

夕方は党会議があったのですが、まだ時間が少しあるのでとにかく墓参りをしようと線香もマッチも鋏も持たずに花を買う暇もなくただ墓の前で手を合わせるぐらいのことしか出来ませんでした。


思い考えてみると、私のした孝行というのは、親より先に死んでいないという、ただそれだけのことです。

せめて、墓参りぐらいはきちんとしておきたいと思います。