始めて西本智実の演奏を聴いたのは、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」でした。
女性の指揮者が珍しかったので聴いてみたいとの軽い気持ちで入手しました。
情景描写に巧みな演奏であるとの印象を受けました。
次に聴いたのはチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」と三大バレエの抜粋でした。
バレエのほうは情景描写が得意な指揮者だと思っていたので妥当な選曲でしたが、交響曲というので意外に思いました。
バレエの方は期待にたがわぬ素晴らしい演奏でした。
悲愴を聴いてみて、これは面白い指揮者が出てきたぞと思いました。
全体的に抑制の聴いた演奏だとの印象を受けましたが、抑制されているくせに、その範囲内では目一杯ダイナミックな勢いを感じました。そして、細部の表現に独特なものを感じました。
演奏に抑制された印象を受けるのは、この演奏がスタジオ録音だからで、実演では爆演する人ではないかとの印象を受けました。
この録音が発売された当時、ある評論家はこの演奏を女性的な繊細な演奏と評していましたが、私はそれは違うむしろ男性的で豪快な演奏だと異議を覚えたのを記憶しています。
この印象は、次に聞いたショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」を聴いて間違っていないと思いました。
やはり全体的に抑制された印象を受けるのですが、やはり本質的にはダイナミックな演奏であると思いました。
抑制された範囲内では非常に濃厚なダイナミズムを感じました。
また、細部の表現が独特なことも同じでした。まるでショスタコーヴィチがマーラーみたいに聴こえる部分もありました。
また、この人の特徴として、ティンパニや大太鼓を強打するのが好きみたいで、終楽章の冒頭も目一杯太鼓をぶっ叩いていました。
こうして、どうやら西本智実はスタジオ録音と実演とが違うのではないかとの印象を受けたので、何とか実演を聞いてみたいと思っていたところ、ロシアのオーケストラと一緒に長崎に来てくれました。
演奏曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」でした。
演奏は私の予想していた通りダイナミックな濃厚な表情のすばらしい演奏でした。
悲愴は盛り上がって終わるという曲ではありません。終楽章で消え入るように終わる曲です。
終楽章が始まったとたんにただならぬ雰囲気が漂ったことを記憶しています。
そして、終楽章の終わりごろにはマーラーの交響曲「大地の歌」の終楽章のような慄然とした空気が漂ったことが印象に残っています。悲愴を聞いて大地の歌を連想するのは初めてのことでした。
この演奏会は、今までで私が聴いた演奏会では最高のものだったと思います。
2回目に演奏を聴く機会も意外と早く訪れました。今度は長崎にロイヤルフィルハーモニー管弦楽団と一緒に来てくれました。曲目はベートーヴェンの交響曲第7番でした。
演奏は素晴らしいものでした。ベートーヴェンの交響曲第7番は爆発する生命力に満ちた作品ですので、爆演するタイプ(でも決してあられもなく爆演するわけではない)の西本智実には非常に向いた曲目でした。
この演奏会では他で得がたい体験をしました。
西本智実の指揮姿は、決してその容姿から連想されるような「華麗な」指揮姿ではありません。
むしろ野暮ったいまでに実直な指揮姿です。動きはかなり多いほうです。
この日の演奏で西本智実の指揮する動きを見ていると、西本智実の動きの一つ一つから音楽が現れてくるのです。まるで音楽と踊りとが完全にシンクロしているような印象を受けました。
決して西本智実は踊るような指揮をしているわけではありませんが、体の動きの一つ一つから音楽が湧き出てくるようなそんな光景を目撃してしまったのです。
西本智実の身体から音楽が湧き出ているのか、音楽に反応して西本智実の身体が躍動しているのか区別のつかない不思議な感覚を覚えました。
こんな体験は初めてでした。
陳腐な表現ですが、西本智実こそ音楽の神に祝福を受けた存在であると、そんな気持ちになりました。
やっぱり、音楽は実演に接するのが一番であると実感したのでした。
その演奏ツアーの録音が残っています。残念ながら私が聴いた長崎での演奏ではないのですが。長崎のプログラムでは演奏しなかったマーラーの交響曲第5番も聴くことができます。
録音からでも、演奏の素晴らしさの一端には触れることができます。
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