以前、私はこのブログで、成年被後見人が選挙権を剥奪されることについて書きました。


成年被後見人の選挙権。成年後見制度と補佐制度の狭間。


ここでは、私は成年被後見人でも、本当に事理弁識能力を欠いている人から選挙権を剥奪するのは止むを得ないとしても、そうでない人からは選挙権を剥奪するべきではないと書きました。


あれから、少々考えが変わりました。




きっかけは、伊藤塾の明日の法律家講座での杉浦ひとみ弁護士の話を聴いたことがきっかけです。


杉浦ひとみ弁護士は、成年被後見人が選挙権を剥奪されることの不当を訴えた訴訟の原告代理人を勤めている人です。


そこでは、成年後見制度を利用した人が利用しない人に比べて不利な扱いを受けることの不当性が述べられています。


そして、成年後見制度は財産保護を目的とした制度であり、参政権とは関係のないものであり、選挙権を奪うことに何の合理性もないことが主張されています。


その話を聴いて私なりに考えたところ、考えが変わりました。


成年被後見人であることを理由に選挙権を剥奪するべきではないと。




私は、創価学会員が認知症の人を誘導して公明党に投票させる事例を聞いて、場合によっては選挙権を剥奪することも止むを得ないと考えていましたが、よく考えるとこの事例のようなことは周囲の人が注意して防ぐべきことで、決して一律に選挙権を剥奪する理由にはならないと気がつきました。


一律に選挙権を剥奪することは、個人の尊重を規定した憲法13条の趣旨に反することだと再認識しました。


こう言えば、あまりにも憲法の原理主義的だと思われるかもしれませんが、私はあくまでも憲法については原理原則を追求するべきだと思います。


憲法とは、あくまでも理想を宣言したものであるべきですからと私は考えます。


その立場から言って、成年被後見人といえども選挙権を剥奪することがあって良いと考えたことを反省して、私は以前に主張したことを修正したいと思います。


そして、成年被後見人から選挙権を剥奪したりしないほうが、成年後見制度をより利用しやすい制度にすることであると私は信じます。