私は、いつも寝る時にはiPodで音楽を聴きながら眠りにつくようにしています。


どうも、何もなければうまく眠りにつけません。


いろいろな音楽を聴きながら眠りについています。バッハ、ブラームス、シューベルト、マーラー、シェーンベルク、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、レスター・ヤング、ビリー・ホリディ、王菲(フェイ・ウォン)、鄧麗君(テレサ・テン)、小林旭、藍川由美、新井英一、ブリーフ&トランクス、つボイノリオ、まりちゃんズ、それこそ何から何まで聴いています。




最近は、寝付きながらバッハの「パッサカリアとフーガハ短調」を聴くことが多いです。


パッサカリアの低音の主題が耳について離れないからです。


パッサカリアは、低音の主題が何度も繰り返される上に、次々と変奏が繰り返される形式です。


聴いていて、まるで走馬燈のような印象を受けます。


走馬燈と言えば、思い出が次々と巡ってくるということになります。


パッサカリアやシャコンヌを聴いていると、そんな気分になってきます。


私も、このパッサカリアを聴きながら、22年に及ぶ私の人生で最も得ることの多かった市役所勤務の時代の思い出が巡ってきます。


そんなわけでしょうか、最近はこのパッサカリアを聴きながら眠りにつくことが多くなりました。




市役所を勤務の時代を思い起こして、その低音に流れる主題は何だっただろうかと考えると、私なりに考えて、それはやはり、弱者、少数者に向ける視線であったでしょうか。


長い市役所生活で、振り返ってみると、この原点を忘れたことも、恥ずかしながらありました。


これからの人生でも、そのことは忘れないようにしなければならないと思います。


これが、憲法第13条の、個人の尊重ということだと思います。




さて、パッサカリアの後にはフーガが続いています。


パッサカリアが思い出とすれば、フーガは未来をいかに構築するかでしょうか。


このバッハの曲の後半は、パッサカリア主題ともう一つの新しい主題との二つの主題を持ったフーガです。


私の人生にとって、パッサカリア主題は、弱者、少数者に向ける視点とすれば、新しい主題は何とか身に付けた法知識だと思います。


弱者、少数者に向ける視点と、この法知識とを持って、行政書士としての未来の人生に新しいフーガを構築したいと思います。


てなことを、理屈をつけて考えてみました。


御笑止のほどを。