今日は息子の登校拒否についての記録本

現在中学校3年生の息子。
学校を休むことが増えたな。と思いだしたのは、
中学校2年生の3学期から雪


その前に・・・


彼は小学校4年生までは、お友達の中心にいるような子だった。
と、あとから周りのお母さん方から教えてもらった。

彼が小学校4年生の12月末。
私の離婚が決まったハートブレイク
車で15分ほどの場所に住む実家に転がり込むことに。
4年生の3学期は、バスで通学した。
ちょうど、半分成人式を控えていることもあり、
転校したくない。という希望でのバス通学バスDASH!

通ってはみたが、お友達と下校後に遊ぶことができない。
一度家に帰る。というルールがあるのでバスで帰る。
そこから急いでまたバスで戻る。
5時にはみんな解散してしまうので会ったとたんに解散。
または、戻ってはみたがすでに解散後の公園。などなど。
彼にはつらい思いをさせた時期。。。の始まりだったダウン

春休み中によく話し合い、新学期から転向することを決意した息子。
バスで通っていたそれまでのクラスのママたちから
沢山のメールや電話をもらった。

「いつも困ったときは助けてもらっていた。」
「男の子も女の子も一緒に仲良く遊んでいたのは○○君のおかげ」
「意見がまとまらない時にあいつがいてくれるから安心できた」
「仲間外れを許さない奴だった。みんなに優しくて大好きだった」

などなど、うちの子からこう聞いていたよアップ
○○君と遊びに行く。と言われるとOKみたいな我が家ルールあったくらい音譜
という嬉しいことを言ってくれるお母さんもいた。

同じ学校でなくなってしまうことが残念ですえーん
という声を貰い、慕われる子だったんだな。と改めて教えてもらう事になった。



そして5年生新学期。新しい学校でのスタート
初めての転校。
初めての引っ越し。
妹以外誰一人見知った顔のいない構内。

一生懸命馴染もうとしていた。

だがしかし、なかなか輪に入れてもらえない。
付き合いのある子たちが夢中になっている「カードゲーム」を一生懸命覚える。
調べまくって貯めたおこずかいで必要なカードを買う。
とにかく一生懸命仲間になろうとしていた。

それでも、馬鹿にされたりからかわれたり、
一生懸命そろえたカードの中から、特に大切にしているカードを盗まれたり、
悔しい思いがたくさんあった小学校後半だったダウン
私に話してくれることもあるが、何もしないで。何も言わないで。
そしたら今度は何を言われるかわからないから。
と、この頃はまだ起こったことを話してくれ、何もしないでくれ。という事が出来ていた。

それでも、学校を休むことなく登校したが、
6年生の3学期後半には「みんなと合わないような中学校に行きたい」と悩むほどに。
なぜその選択をしたいのかは、もうこの頃には話してくれなくなっていた。

今から受験は間に合わない。という微妙な時期。
そして、シングルでどうにか生活している私には
私立進学費を出してあげることは厳しかったことと思うダウン

色々可能性を探り、役場にも相談に行き、学区外の中学校も調べまわったが、
学区外に通う理由にはならない。と、どうにも方法が見つからなかった。

息子も、可能性を全て調べつくしたからか、
近くの中学校に行く。と気持ちを切り替えた様で、
少しスッキリしたような吹っ切れた顔をしていた。

まだまだ本格的な登校拒否までには長くなるので、
今日はこの辺で。

これは…
ちょっと書いていて辛いこともあるが、
頑張っていた息子を再確認できる良い機会でもあるな。と思う。